鹿野の潮音洞を見学して①

漢陽寺 名水サミットでは、地元の名水として、鹿野の「潮音洞・清流通りについて」原田明さんが紹介されました。

 山口県指定文化財 潮音洞は、漢陽寺(かんようじ)の裏山にあります。今から360年前、岩崎想左衛門重友が私財をなげうって、漢陽寺の裏山にトンネル約89mを掘ったという原田さんのお話を伺って、鹿野の街づくりや、清流通りの原点を知ることができましたので、早速見学に行きました。

 案内役は観光ボランティアの長嶺敏昭周南市議会議員さん。雨上りの鹿野の街を、丁寧な説明をして頂きながら、一緒に歩いてくださいました。


潮音洞***潮音洞ができた経緯***
 この潮音洞が完成するまでの鹿野台地は、周辺の錦川や渋川よりも高台にあるため、水利の便に全く恵まれておらず、井戸もよほど深く掘り下げなければ水が湧き出ない状態で、村人たちは毎日遠くまで水汲みに行っていました

 これを見た岩崎想左衛門重友は、なんとかこの台地に水を引き、村人の生活を楽にしようと考えました。

 ある日、想左衛門重友は漢陽寺に参り裏山を散歩していた時、渋川を流れる豊かな水を見て、この裏山を掘り抜いて鹿野台地に水を引こうと決心しました。

 そこで、藩の許可を受けた想左衛門重友は、1651年(慶安4年)、私財を投げ打って村人と工事を始めました。全て手作業の「のみと槌」を使ってトンネルをくり抜く仕事は、難航を極めました。

 工事を始めて4年後、遂に、村人と力を合わせて造った約90メートルのトンネルが完成しました。

 そして、渋川から水を引く870mの導水路と、下流水路1000mをつくり、水を通すと、それまで荒れ地であった鹿野台地は水に潤され、62町歩の水田を開作することができ、住民300戸の生活用水を救うことができたため、村人は大変喜びました。藩主毛利綱広はその功を賞して、想左衛門重友を家臣として迎え入れました。

 想左衛門重友の造った掘抜き水洞「潮音洞」を流れる水は、今でも命の水として鹿野の大地を潤しています

 「潮音」の名は観音菩薩のように、慈雨を注いで民を潤すといった意味で、観音経普門品の「梵音海潮音、勝彼世間音」からとったものと言われています。
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ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

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