エスコートゾーンが新設・増設 ②

市役所前のエスコートゾーンです。 エスコートゾーンとは、車道の横断歩道の上に点字ブロックを敷設したものです。横断歩道を安全に渡るためには、車道にある横断歩道にも点字ブロックが必要です。これがあれば、横断歩道が描かれている方向がわかります。

 しかし、横断歩道は車道にありますので、歩道に点字ブロックを作るのと違って、国道では国交省などとの協議も必要となる上、予算的にも多額なものであること、また、常に車が通るので、点字ブロックが傷んでしまうことなどから、これまで、あまり積極的には進めてこられなかったようです。

 視覚障害者は、横断歩道を渡る時、ゴール地点が見えないため、どちらの方向に進んでよいかわからず、横断歩道からはずれてしまうこともあり、とても危険です。

 周南市の視覚障害者の団体からエスコートゾーン新設の陳情を受け、利用率の高い周南市役所前などへの設置を県に要望し、1か所ずつ増やしてきました。その結果、これまで、
 ① 周南市役所前交差点
 ② 児玉公園前交差点
 ③ 徳山小学校前交差点
 ④ 桜馬場交差点交差点
 ⑤ 西京銀行本店前交差点
 ⑥ 八正寺前交差点
 ⑦ 三田川交差点
 ⑧ 徳山高校北アルク前 新堀交差点
 ⑨ 松保町交差点
の9か所に設置してきました。
 
 視覚障害者の方々は、
「りつ子さんのおかげで、とても歩きやすくなった。とても嬉しい。でも、⑦⑧は南北・東西の1か所ずつ計2本しかないんです。交差点には4本の横断歩道があるので、できればL字ではなく、口の字の形にして欲しいんです」
と言われます。

 県としては、予算がない中、1か所でも多くの交差点に敷設していきたいと考え、L字の形にし、2倍のスピードで進めたいようでした。

 そこで、また県にお願いをしました。  

続く・・・・

エスコートゾーンが新設・増設 ①

夜間、交通量の少ないときにエスコートゾーンの敷設をされていました! 先日、夜の会合を終え、徳山から帰る途中、日本政策金融公庫徳山支店前で道路工事をしている光景を見ました。その瞬間、すぐに「あっ!!」と声を上げました。

 それは、横断歩道の上に点字ブロックを貼り付け、エスコートゾーンを敷設してくださっていたからです。

 このエスコートゾーンについては、私のライフワークともなるものですので、今回、改めて、詳しく紹介させていただきます。

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あなたは、目をつむって、横断歩道を渡る勇気と自信があるでしょうか?

 視覚障害者が外出される時は、ガイドヘルパーや盲導犬の誘導を受けたり、白杖を使ったりしながら歩かれます。1人で歩いておられる姿をみかけることもあります。一番怖いのは交通事故だろうと思います。

 最近、歩道上の点字ブロックはかなり増設されました。しかし、横断歩道の上には、なぜか、点字ブロックがありません

 視覚に障害があれば、交差点に来た時、「ピヨピヨ・カッコー」の音響信号機で「青になった瞬間」はキャッチできるものの、どの方向に進んでいいのかわかりません。ゴールがわからないところを、一人で白杖を使って歩いて行くには、勇気が要りますし、とても大きな危険を伴っています。

 実は、私はこのことについて全く考えた事もありませんでした。目が見える者にとっては、横断歩道を渡ることは、何ら問題のないことですから・・・。

 しかし、県議として、視覚障害がある人たちとの交流の中で、色々な課題について教えていただくようになったある日のことです。

 当時の石村会長さんから
「りつ子さん、僕たちは、目が見えなくても、人に迷惑をかけたらいけないと思って、一生懸命訓練を受けて、一人で外に出ようと頑張っているんです。

 でも、道路を横断する時が一番怖いんです。特に道路幅が広い交差点では、まっすぐに渡っているつもりでも、斜めになってしまい、交差点の中へ中へと、進んでいったこともあります。
 大分県にはエスコートゾーンと言うものがあるらしいので、それを徳山にもつけてくださいませんか?」
と言われました。 

 私は早速、エスコートゾーンについて勉強し、警察にお願いに行きました。警察の方もまだご存知なく、 今では笑い話の一つになっていますが、
「何のエスケープですか?」
と言われました。

続く・・・・

藤井真杯を開催しました

周南ベースボール優勝チーム マリナーズのみなさんです。 秋の終わりには、毎年2つの「藤井真杯野球大会」を開催します。

 この「藤井真杯野球大会」のことは、何度も“日々の想い”に書いていますが、やはりこの時期になると、私の心の大切な原点として書かずにはいられなくなります。

 1つは「サンデー早朝野球連盟」。
 もう1つは、「周南ベースボールクラブ」。

 共に、夫が会長をしていましたが、夫が亡くなった直後、
何か、藤井真会長の名前を残したいと思うのですが・・・
と、それぞれのクラブの責任者の方がご仏前にお参りに来られ、言われました。

 私は、夫が亡くなったことがショックで、まだ何も考えることができない頃のことです。何の判断もできず、皆さんへお任せしました。その結果、それまで、リーグ戦の最終回に開催していたトーナメント大会を「藤井真杯」と言う大会に変えてくださった訳です。

 今日は周南ベースボールクラブの「第12回藤井真杯トーナメント大会」です。春からのリーグ戦で上位6位の好成績を収められた6チームによるトーナメント決勝大会

準優勝チーム あまたのみなさんです。優勝は「マリナーズ」。準優勝は「あまた」

 閉会式の後、皆さんと写真を撮り、
「来春までさようなら。でも、街づくりは明日からも引き続き頑張りましょうね!」
と別れます。皆さん、とても気持ちの良い方ばかりです。

 実は・・・夫が亡くなり、ずいぶん時間が経ったようにも思いますし、つい、昨日のことのようにも思います

 しかし、確実に、時間は経っているわけで、夫が亡くなってからの「とき」の長さは、色々なことで知らされます。子供の成長を考える時、私が県議になってからの年数、更に、この「藤井真杯」。第12回と言うことは、丸11年経ったということです。

 来年は夫の13回忌を迎えます・・・。

桜木野球スポーツ少年団が創立30周年

こんなに大勢のこどもたちが参加しています。 桜木野球スポーツ少年団は創立30周年を迎えた事を機に、周南市野球場で、県内の47チームを招待し、「記念親睦大会」を開催しました。私は数年前から、「桜木野球名誉副会長」という肩書をいただいておりますので、開会式で挨拶をさせていただきました。

 子ども達が元気に堂々と入場行進をし、47チームが勢揃いした光景は、実に盛大で見事でした。周南市における甲子園では、と錯覚するほどでした。

 単位スポーツ少年団が、これだけのチームを招待するということは他には例がないと思いますし、長い歴史の中で、お互いに深い交流をしてこられた結果だろうと驚くと共に感動しました。

 例年の桜木大会は野球場周辺のソフトボール球場などで行っていますが、やはり、広くて立派な周南市野球場のマウンドを踏むと、子ども達も少し緊張しているようでした。

 その様子を野球場のリニューアルに一緒に取り組んだ野球連盟の藤井勝昭さんと見ながら
大変だったけど、子どもたちのために、頑張ってよかったね!
と話しました。

選手宣誓。堂々とされていました。 この30年間、田村団長さんを始め、多くの指導者の皆様が子ども達を心身ともに健やかに育ててこられたことに、心から感謝申し上げます。

 野球は打ったり投げたり走ったりの個人の技だけではなく、チームワークが最も必要なスポーツです。この桜木野球からチームワークを大切にする優秀な社会人が、たくさん羽ばたいて行ったものと思い、とても嬉しく思います。

 これからも40年、50年に向けて、ますます桜木野球スポーツ少年団が充実発展していきますよう念願しています。

倫理法人会のモーニングセミナーで講話をさせていただきました

亡き夫・眞と。亡くなる前年、新宿御苑での桜を観る会にて。 11月22日「いい夫婦の日」。所属している周南倫理法人会のモーニングセミナーで2回目のお話しをさせていただきました。

 テーマは「人生の閉じ方と生き方」。とても重たいタイトルですが、実は、この会のメンバーである黒神さんが私のブログの中の「日本ホスピス・在宅ケア研究会IN十勝」の記事を読まれ、
ぜひ、ホスピス・緩和ケアについて、お話ししてください
と言われました。その言葉を受けて、今回のテーマとなった訳です。

 そこで、「緩和ケア病棟について」と、「医師から突然、『がんです。あと3か月の命です』と言われたらどうしますか」ということについて、夫と、夫の母の生き方・人生の閉じ方を例に挙げながら、「今を生きる私たちは、どう生きていかなければいけないか」のお話をさせていただきました。
 
 振り返ってみると、54歳という若さで亡くなった夫は、がんの告知を受けた後、「生きるぞ!」という強い信念と共に、「ひょっとすると死ぬのかな・・・」という思いの中で、「生きる」ことに全力で取り組みました。

 それまで、元気印であった夫は「死」について考えた事など全くなかったのでは、と思います。胃がんの手術をしてからは、研ぎ澄まされた感覚の中で、それ以後の人生を生きたような気がします。

夫の母。この写真は70歳のころのものです。 また、夫の母は、71歳の時、伴侶が亡くなったことが大きなストレスとなり、次第に自分のことがわからなくなってきました。

 それから徐々に認知症が進み、胃潰瘍、胃穿孔、手術、気管切開、経管栄養・・・と15年8か月の療養生活の末、亡くなりました。きっとその途中も、自分が自分でなくなることが辛く、苦しい思いをしていったと思います。

 この2人の「生き方」「人生の閉じ方」は、私自身にもいろいろなことを教えてくれました。

 「自分は何のために生きているのか」
 「死ぬ時に、家族に何を伝えたいか」
 「自分が生きている証は何なのか」


 今回、講話の原稿を考えながら、私自身、人生の終わりを迎えるまでの生き方について、新たな気づきを得ることができました。お話をさせていただいたことに、感謝します。ありがとうございました。

岡山県看護連盟で講演してきました

岡山で看護協会・看護連盟の皆様にお話をさせていただきました。 数ヶ月前、岡山県看護連盟の江尻会長さんから
「看護師の資格を持った私が県議になって何をしてきたか、なぜ、看護師の代表を政治の世界に送らなくてはならないのか」
というテーマで話してくださいというご依頼を受けました。

 そして去る11月15日、岡山県看護協会・岡山県看護連盟の合同研修会が津山中央病院の慈風会記念ホールで開催された際「看護師の経験を活かしての県議の活動と想い」というタイトルで講演をさせていただきました。

① 以前、看護師として勤務していた時の経験が、今の議員生活の中で、どのように役に立っているか
② 夫ががんで亡くなった後、緩和ケア病棟の必要性に気付き活動したが、その設立に向け、具体的にはどんな動きをしたか
③ 視覚障害者をモデルに、障害者施策には何が必要か
④ 看護師の代表をなぜ政治の世界に送り出さなくてはならないのか
⑤ 患者が人生を閉じる場面で、すぐ傍にいることができるのは看護師であるので、患者の立場、家族の立場に立って、するべきことがあるのでは・・・
⑥ 延命治療について

などについて、会場いっぱいの看護師さんたちの熱い視線を感じながら、一生懸命、話をさせていただきました。

 津山市は、岡山駅から急行電車で約1時間北へ走った所にある人口106,625人の静かな佇まいの町です。

 行きの電車では、江尻会長さん、鍋島幹事長さんと一緒に、看護に関するいろいろな課題について話しながら、周囲の紅葉した里山や、沿線の家の軒下にかけてある「干し柿」などののどかな風景を楽しみました。

 自分の経験が、これからの看護師さんたちのお役に立てることは、本当に嬉しい限りです。これからも共に頑張っていきたいと考えています。

第12回都道府県議会議員研究交流大会に参加して

 11月13日、東京の都市センターホテルで「第12回都道府県議会議員研究交流大会」が開催され、私も久しぶりに参加しました。山口県議会議員の11名をはじめ、全国から500名近い議員の参加があり、会場は熱気で溢れかえっていました。

 まず、全国都道府県議会議長会会長の山本教和三重県議会議長のご挨拶がありました。その後、毎日新聞社解説委員長の倉重篤郎さんによる、「日本政治の行方」というテーマで講演がありました。

毎日新聞社倉重篤郎さんによる講演がありました。①当面の国内政局
 解散総選挙はどうなるか。野田総理の思惑。
②どうなる北東アジア政局
  尖閣問題の緊張。
③グローバル政局
  世界経済の不透明、米国の財政の崖、EUの危機継続、新興国パワーの減速。
  デフレ脱却できない日本経済、景気循環による落ち込み
④日本の進路
  決められる政治の再構築、成長戦略再構築、外交安保の長期的自立化

 振り返ってみると、党首討論で「近いうち解散」が決まった前日の講演です。毎日新聞の命運をかけての発言だったと思いますが、解散と総選挙の日付もピタリと的中され、「さすが政治記者!」と思いました。

「政策立案機能の強化」をテーマにした分科会に参加しました。 その後、各会場に分かれて、5つの分科会が開催されました。私は第一分科会の「政策立案機能の強化―条例制定権の拡大の視点から考える―」に参加しました。

 コーディネーターは、関東学院大学の出石稔教授。パネリストは、山口県議会議員の新藤精二さん
 
 新藤県議は、山口県議会の議会改革検討協議会の会長として、議会改革の取り組み・山口県議会で制定した4つの条例について説明をしながら、議会活動の充実強化に向けた発表をされました。

 出石教授は、「地域主権改革を受けて、自治体と議会はどう対応すべきか」という話をされました。

 この研究大会は平成13年から始まったものです。スケジュールが合わないため、毎年の参加できませんが、参加すればいろいろな面で刺激を受け、また、良い勉強にもなります。できる限り参加して、情報を収集したいと思います。

教育功労者表彰式が挙行されました

議長代理で祝辞を述べさせていただきました。厳粛な雰囲気で進行しました。 平成24年度の教育功労者表彰式が県庁正庁会議室で挙行されました。私は文教警察委員長として出席し、議長の祝辞を代読しました。

 この表彰式は、本県教育の各分野において(教育行政の推進・社会教育の振興、学術の振興及び文化財の保護、学校保健の振興、学校体育の振興)多大な貢献をしてくださった方たちの長年の活動を讃えるものです。

 広い正庁会議室には24名2団体の方が出席され、厳粛な雰囲気の中、村上教育委員会委員長から一人ずつに表彰状が手渡されました。


ガールスカウトの竹重リーダーと。おめでとうございます。 受賞者の中には、嬉しいことに、私の友人であるガールスカウトの竹重八壽子さんや、周南市須々万の「ふれあいの森なんでも工房」の村田真博さんがいらっしゃいました。

 議長の祝辞の中に、吉田松陰先生の
『教える』の語源は『愛しむ(おしむ)』。誰にも得手不手(えてふて)がある。絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない

という言葉を引用し

「愛情を込めて教えるからこそ、信頼して学ぶことができる。人と人の絆や個性の尊重がいかに教育に大切であるかを諭す言葉だ」
という件がありました。

 教育は、未来への可能性を大きく広げる「人づくり」であり、将来の「地域づくり」「国づくり」の基盤となるものです。

 改めて、教育の基本を再認識しながら、受賞者の皆さんが子ども達へ優れた教育理念と情熱を持って指導してくださっていることに感謝した式典でした。

 受賞者の皆さま、おめでとうございます。これからも頑張ってください。

福島県との交流

今年の花の会の様子。福島県議会議員の長尾トモ子さんをお迎えして、講演会を行っていただきました。 今年の夏、私の女性の後援会組織である「花の会」の研修会を開催した時に、福島県の長尾トモ子県議を講師としてお招きし3.11「東日本大震」災発災時の状況、震災後の復旧の様子、子育て中の母親の不安な気持ちなどをお話ししていただきました。

 また、この時、「花の会」の会員さんへ、「風評被害で苦しんでいる福島県を応援してください」とお願いし、福島県の特産品を買っていただきました。

(2012-08-29~2012-09-03 第11回花の会 記事はこちら:  


花の会からの寄付金をお渡しいたしました。 その販売で得たお金5万円に、「福島県を応援しています。頑張ってください」というメッセージを添えて、10月、委員会で福島県を視察した際、長尾県議にお渡ししました。

 長尾県議は早速、福島県庁へ届けられたそうです。

 先日、その領収証と佐藤雄平福島県知事さんからの御礼の言葉が届きました。

 「・・・お寄せいただいた寄付金につきましては、被災した子供達を長期的、継続的に支援していくために、有効に活用させていただきます。

 福島県は地震と津波で多くの尊い命、財産を失い、更に原発の事故、風評被害を加えた『四重苦』が現在も続いています。

 こうした中、県民が一丸となって必死にこの難局に立ち向かっています。

 復旧、復興には長い時間が必要になるかもしれませんが、『新生ふくしま』に向け、一歩一歩力強く、粘り強く歩んでまいります。
・・・・・・」

 ご丁寧なお手紙をいただき恐縮しましたが、これからも継続的に支援していきたいと思っています。

 なお、県外視察の際、文教警察委員会でも、各委員からの寄付金10万円を福島市長さんへお届けしました。

 福島の皆さん頑張ってください。遠く山口から応援しています。

南陽工業高等学校が創立50周年を迎えられました

議長代理として祝辞を代読いたしました。 去る9日、南陽工業高等学校創立50周年記念式典が挙行され、文教警察委員長として出席し、議長の祝辞を代読いたしました。

 南陽工業高等学校(以下、南工と略します)は周南コンビナートを支える工業高校の設置という地元の熱い期待を受け、昭和37年に創設されました。以来、9700名を超える有為な人材を輩出してこられ、県内はもとより、全国各地で活躍をされています。

 現在、産業界の変化は大きく、これに対応できるスペシャリストの育成が求められていますので、南工においてはキャリア教育にも積極的に取り組んでおられます。

 式典の中で、南工卒業生で組織される「南工会」の高橋会長(第1回生)が、学校の設立当時の話をされました。

 「昭和37年4月8日 第一回生の入学式が仮校舎の富田西小学校の講堂中廊下で挙行され、南陽工業高校の歴史が始まった

 入学式と同じ年から始まった校舎の建設は、まず山の斜面にあった田んぼや畑の整地から始まり、その土木作業は自衛隊の協力によるものだった。その年12月、新校舎へ移動。

 グランドは無くても 自分たちの校舎に入る事ができた喜びは例えようがなく、一回生の一員として今でも当時の喜びを忘れることができない。

 それからは県内にある先輩の工業高校に『追いつけ・追い越せ』の精神のもと、先生も生徒も一体となって邁進した」

 私は、自衛隊の協力でできた学校だということが、とても心に残りました。学校設立には、本当に大きなエネルギーが必要であったと思います。

 県内屈指の工業高校として、地域を担う人財を育てる学校として、大きな力を発揮していただくよう、今後、さらなる発展を願っています。
 
南工には津田投手の記念碑があります。 尚、南工の卒業生の中には、広島カープで大活躍され、今年殿堂入りをされた津田恒実投手や、阪神タイガースに昨年入団された岩本輝投手など、多くのスポーツ選手も輩出しておられます。

 *写真は南陽工業高等学校敷地内にある津田投手の記念碑です。



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ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

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