山口県看護協会の総会に出席

 山口県看護協会周南支部の総会が開催され、私も会員の一人として出席をしました。

 総会では、県議としてのご挨拶の場をいただきましたので、2ヶ月前、乳がんのため亡くなられた、元「キャンディーズ」のメンバーで、女優の田中好子さんからの最後のメッセージをご紹介しました。

http://fujiiritsuko.blog22.fc2.com/blog-entry-1127.html

 「私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でも、その時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが、私の務めと思っています。

 デビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています」


 そして、次のようにお話しました。

 「私も、『別れの時、感謝の言葉が言えるような人生を送りたい』と思う。

 また、亡くなる人も辛いけれど、同時に、遺される家族も辛い。

 看護師の皆さんは、患者さんが亡くなる時、一番近くで、患者や遺される家族を見守る立場にある。看護師さんならではの仕事。

 もしも、患者さんが、感謝の言葉を言えていないようであれば、少し手助けをして、『ありがとう』と言える環境を作ってあげて欲しい。

 そうすれば、家族は辛くても、その言葉を糧に生きていくことができると思う。

 看護師という職業を選ぶ人は、人のために尽くせる人が多い。また、学問的、技術的、精神的にも選ばれた人しか、就くことができない重要な仕事であり、とても崇高な職業である。

 自信と誇りを持って、しっかり働いて欲しい」

 看護師の皆さんは、途中から、涙を拭きながら聞いてくださいました。きっと、ご自身の辛い体験も思い出されながら、聞いておられたのだと思います。

 先日、ラジオで、この春からバスの運転手さんになった人に、
どんな運転手さんになりたいですか?
とインタビューする番組がありました。
 運転手さんの答えは、
自分の大切な家族を乗せて走っていると思いながら、運転したいと思います」

以前夜勤体験をさせていただいたときの写真。看護師の仕事の大変さを改めて感じました。
 その言葉を聞いて、家族や患者の立場から医療というものを考えてみました。 医療者は日々の業務に忙殺されておられるとは思いますが、心の隅に、自分の家族を看る気持ちをもっていただければと思います。

 その気持があれば、思いやりのある言葉を患者にかけることができます。患者や家族にとって、「温かいケアをしていただいた」と、感謝の気持ちがうまれるのではないでしょうか。

 みんながそんな意識を持てば、医療の質も随分変わると思います。

全盲のピアニストYOUTAさんコンサート

ピアノを弾かれるYOUTAさん。素晴らしい演奏でした。
 「山口ささゆり会」の主催で、「YOUTA&ノフタスさわやかコンサート」が開催され、私も少しだけお手伝いをさせていただきました。

 YOUTA(ユウタ)さんは、富山県生まれの29歳。生まれつき視力が0で、幼い頃から音楽に親しまれ、高崎芸術短期大学・武蔵野音楽大学などでピアノを学び、現在、創作・演奏活動をされています。

 昨年、富山県で開催された「視覚障害者全国交流登山大会」の懇親会で、YOUTAさんのピアノ演奏を聴かれた「山口ささゆり会」の方は、その素晴らしい音色に感動されたそうです。山口の皆さんにも、是非聴いて欲しいとの願いから、今回のコンサート開催の運びとなりました。

 コンサートでは、ZARD、AKBなどのポップスや、ショパンのノクターン、幻想即興曲などのクラシック、YOUTAさん作曲の「CELEBRATION」など、たくさんの曲を弾かれましたが、どれもすばらしく、キラキラした、力強い演奏でした。
 
 普段のコンサートなどでは、即興でいろんな曲を演奏されることも多いのだそうです。

 曲の合間のMCでは、
「周りがみんな結婚していくんですよ、みんな僕にも結婚しろって言うんですけど、そんな簡単にはいかないですよね~」
などと、ニコニコと話されていました。

 コンサートが終わり、出口でのお見送りに立たれたYOUTAさんに、皆さんは、
「本当によかったですよ」
「頑張ってね」
「指先に目があるんでしょうね」
などと声をかけながら、握手をされていました。

 「障害を乗り越えて」という言葉がありますが、障害を「乗り越える」のではなく、目が見えないということを自然に、あるがままに受け入れ、目が見えないからこそ持っている力があることをYOUTAさんの演奏を聴いて感じました。
 
 心に残る本当に素晴らしいコンサートでした。

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 「山口ささゆり会」は、視覚障害者の方がたと共に山登りをする「視覚障害者山の会」などをとりまとめていらっしゃる団体です。H20年には鹿野の莇ケ岳(標高1004 m)で視覚障害者全国交流登山大会を開催され、私も参加させていただきました。

 当時の記事
  http://fujiiritsuko.blog22.fc2.com/blog-entry-737.html ~
  http://fujiiritsuko.blog22.fc2.com/blog-entry-741.html  (5回シリーズ)

記念講演「帰ってきた『はやぶさ』、そして未来へ」

JAXA准教授吉川真先生とイトカワの模型。大変わかりやすいお話でした。※写真は山口県立大学からいただいたちらしより掲載
 県立大の70周年記念式典に続いて、記念講演が行われ、多数の方が参加されました。

 講師はJAXA(宇宙航空研究開発機構)准教授の吉川真先生で、「帰ってきた『はやぶさ』、そして未来へ」というタイトルでお話をされました。吉川先生は、「はやぶさ」プロジェクトチームで中心となった4人の中のお一人です。

 昨年6月「はやぶさ」大気圏再突入の模様はインターネットで生中継され、その後も、メディアなどに多く取り上げられるなど、社会的にも大変話題になっていました。

 我が家の娘も「はやぶさ」が大好きで、呉の大和ミュージアムで開催された帰還カプセルの展示会も見に行きましたが、この時、
 「カプセルが、大気圏突入の際に3,000度の高温にさらされたとは思えないほどきれいだった!」
と、感激して帰ってきました。

 そして、
「『はやぶさ』は、自律性を持たせて設計された探査機だから、ある程度のことは自分でできるんよ!イトカワとはね・・・、イオンエンジンとはね・・・、サンプルリターンとはね・・・小惑星とはね・・・」
と、「はやぶさ」の話が延々と続いたことを良く覚えていますが、私もこのことをきっかけに関心を持ち、今日の講演を大変楽しみにしていました。

 小惑星探査機「はやぶさ」は、小惑星には太陽系の起源・地球の起源のヒントがあるのではということ等から、開発・研究が進められたものです。

 「はやぶさ」は無人でありながら、2003年から7年かけて、小惑星「イトカワ」の表面のサンプルを採取し、地球へ届けるという世界初の任務を果たしました。

 しかし、自らは大気圏に突入する際に燃え尽きて、60億キロという長い旅を終えました

 「はやぶさ」は、何度もトラブルに見舞われたそうです。「ここまでできるかな?」という不安と期待が入り混じった中で、吉川さんたちは地上から指令を送り続けたそうですが、いつも想定以上のことを自らがしてくれたそうです。

 自分たちの想いにしっかり応えてくれた「はやぶさ」が、大気圏に突入する時は、成長した自分の子供が帰ってきたようで、とても「はやぶさ」を機械とは思えない、特別な存在となったそうです。

 また、サンプル容器が収められたカプセルはオーストラリアのウーメラ砂漠にパラシュートを展開して降下し、無事に回収され、日本で内容物の調査研究が進められています。

 今日のお話をお聞きして、宇宙の壮大さや、日本の科学技術の素晴らしさについて改めて感銘を受けました。

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 「はやぶさ」の生みの親であるJAXAの川口淳一郎教授の言葉を紹介します。

*「将来はやぶさが大型化すると、人が乗ってイトカワや小惑星に行き、地球に戻ってくるということも現実的になるだろう。」

*「これからの宇宙旅行は、人が地球の外に出るだけでなく、太陽系を回ってくる時代もこれからは可能になるだろう」

*「高い塔をたて、その上にのぼってみると、もっと広い展望が開ける。それが科学技術全般を牽引していく力になるのだろう」

*「愛国心と誇りを持たせる。これが国づくりの基盤」

*「今回のプロジェクトが成功したからといって、日本の実力がNASAを追い越したなどというつもりはない。現実問題として、宇宙開発の実績も技術も、現時点ではNASAの方がずっと先にいる。しかし、小惑星サンプルリターンに関しては我々のほうが一歩先につきぬけた。たった一つの分野だが、ここを突破口にすれば、いつか他の分野でも『日本が一番だ』といえる日がくるかもしれない」

山口県立大学創立70周年記念式典

山口県立大学
 山口県立大学は、学生数1300名、閑静で自然豊かな山口市宮野の地にあります。国際文化学部、社会福祉学部、生活科学部、看護学部の4つの学部と関連する大学院から構成され、社会福祉士、管理栄養士、看護師などの人材育成を行っておられます。

 このたび、創立70周年を迎えられ、記念式典と記念講演が開催されました。

 私は、文教警察委員長としてご案内を受け、出席しました。

 式典の中で、江里健輔学長は
「地域を支える人材づくりにまい進してきた。これからも地域に貢献する大学の道を追及したい」
とお話されました。

 県立大学は昭和16年に山口県立女子専門学校として開学しました。

 昭和25年 山口女子短期大学(国文科・家政科)開学。
 昭和32年 保育科新設。
 昭和50年 山口女子大学開学(文学部・家政学部)。
 平成 8年 大学名称を山口県立大学へ変更。男女共学に移行。看護学部新設。
 平成11年 大学院(修士課程)開設。
 平成18年 公立大学法人山口県立大学へ設置者変更(中国・四国地方の公立大では初)。大学院(博士後期課程)開設。


 今後の山口県の心豊かな地域社会の形成や地域の活性化にとって、なくてはならない存在です。卒業生も各方面で活躍されています。最近は、地域社会に積極的に関与し、貢献する『地域貢献型大学』として、その活動範囲も広がっています。

 益々の発展を期待しています。

大橋邦男さんCD製作発表コンサート⑤〈完〉

haruさんと
 邦男さんはパンフレットの挨拶の中に次のように書いておられます。

 ***************

 ・・・障害を克服して頑張っている障害者は、社会に受けが良い。私も社会に受けが良い障害者になりたかったけれど、なれなかった。

 私は頑張る障害者になることを止めてしまった。折角この世の中に出てきたのだからと、無駄な頑張りは止めてしまった。

 障害者の無駄な頑張りとは、健常者と同じことをする、歩けない障害者が歩く訓練をする、健常者と同じような格好をする、そんな無駄な頑張りを真面目にしていると、障害が早く進んで、歩ける障害者も歩けなくなってしまう。

 事故で障害者になった人と、生まれつきの障害者は違う。事故の場合は、ある程度リハビリをすれば障害が軽くなるが、生まれつきの場合は、10歳以上になればリハビリをしても障害を軽くすることはできない。

 障害のある子供を生んだ親は、ずっとその子に責任を感じながら生きている。障害がある自分を嫌いになったら、せっかく生んでくれた親に悪い。

 障害者の親達は、社会の人たちに遠慮している。自分がコンサートをしたいと言っても、家で生活していたら、「迷惑をかけるから」と親が反対しただろう。

 施設に入っていれば、自分が何を夢見ているのか知る人もいないので、今日のコンサートは実現できなかったであろう。

左足の親指でパソコンを操作されます
 私の生活は周りの人たちに支えてもらっている。私のような障害者でも、地域で暮らしていたら理解してくれる人たちも出てきて、こんなコンサートができるようになってくる。


 やっぱり地域でもまれて暮らすことがよいのだ・・・・


**********************

 私は、邦男さんの真っ直ぐな生き方を見て、障害を持つ人に対して、また、その家族に対して考えが少し変わりましたし、とても勉強になりました。ありがとうございました。
 尚、このCDは非売品です。販売して欲しいと関係者に申し出はしておりますが、今はまだ、ありません。

大橋邦男さんCD製作発表コンサート④

CD「当たり前のことが」ジャケット










#06「当たり前のことが」

素直な心になれば、季節の風を感じる
長いトンネルを抜けて、うつむくワタシにさようなら

悲しむために生きてない 悩むために生きていない
泣くために生きてないさ
風のようにアナタが教えてくれた 

独りじゃ生きられない そんな当たり前なことを アナタの優しさで知った
ありがとうっていいたいよ ワタシがワタシになれる 移りゆく季節の中で



******************

挨拶をさせていただきました
 私は、作曲をされた高島さんから、2ヶ月前にこのCDを頂き、何度も繰り返して聴いてきました。6曲の中で、私が一番好きな曲です。

 邦男さんは、先日テレビに出演され、「これまでは自分のために生きてきたけれど、これからは他の障害者のために生きていきたい」と言われていました。

 しかし、邦男さん自身が気づかれていないだけで、これまでも、邦男さんの生き様で多くの人が生きる勇気を貰ってきたように思います。障害を持つ人への厚い壁がある中、先駆的に社会参加をされてきた邦男さんのおかげで、今、こうして、バリアフリー化が進んでいるのではないでしょうか。

 そして、障害がある人もない人も、誰でも、生きていく上で、辛いこと、苦しいこと、泣きたいことはたくさんあるはずです。

 でも、この歌を聴くと、「ああそうかっ!私は泣くために生きているんじゃない」と、きっとある時点で、大きな勇気がわいてきて、涙を拭いて前を向いて歩き始めることができるのではないでしょうか。

 本当に素敵な歌詞だと思います。

     続く・・・

大橋邦男さんCD製作発表コンサート③

回天発射訓練基地











 #01「私と回天」
 
  青い海が広がる  青い空が広がる
  まっすぐな心が  まっすぐに死んでる
  愛するものを守る 明日を信じて
 
  

  短い人生なのに  短い命なのに
  笑いながら 泣きながら 帰らない艦(ふね)に乗る

  
  
  暑い夏の日に セミがミンミン鳴いている
  魂を燃やしながら 沈黙の海に向かって
  短い命だと鳴いてる
  
  
  
  帰らない艦(ふね)に乗る



***********

 詩の傍に
 
 ――――僕が生まれる以前に、この国で戦争があって、若い人たちが、「日本の為に」と死んでいきました。15歳から20歳の少年達が「おかあさーん」と叫んで死んで行った遠い過去の現実があります。
 
 私は障害を持って生まれましたから、いつも父と一緒にお風呂に入り、色々な話を沢山聞いてきました。父のお尻に大きな穴が開いていました。その戦争で爆撃を受けて、父は怪我をし、父の姉は死んだと聞きました。

回天記念館。遺書・手紙・軍服・遺影や遺品など、約1,000点が収蔵されています。回天による戦没者は、搭乗員、整備員他145名、没時の平均年齢は21.1歳だそうです。

 その戦争で父が死んでいたら、私はこの世に存在していなかったのです。戦争で亡くなった「若い命の心」は、私の中にも在るのだろうと思います。
 戦争で亡くなった真っ直ぐで若い命。詩を書いていて、改めて命の大切さとか、純粋な心を真剣に考えました。この詩に込めた「ありがとう」をみんなに言いたかったのです・・・――――


  続く・・・

周南市HP 回天記念館について
http://www.city.shunan.lg.jp/section/ed-sports/ed-shogai-bunka/kaiten/index.jsp

大橋邦男さんCD製作発表コンサート②

演奏の様子
 15日はそのCDの製作発表会の日でした。「障害者として生きてきた私の証しコンサート」というタイトルがつけられ、楽団みかんの花(高島利治代表)の主催により、周南市徳山社会福祉センターで行われました。

 邦男さんの仲間や、ご両親の友人などが会場いっぱいに集まり、熱気があふれていました。

 詩には、大橋さんの「障害者であることを隠さずに、夢を持って生きていこう」という考えや、平和に対しての思いなどが綴られています。

 学生の頃、吉田拓郎や長渕剛の歌を聴き、「いつか自分の詩を歌にして、自分の思いをみんなに聴いてもらいたい」という夢が叶った日です。

 CDに録音してある6曲の演奏と歌は、高島さんと音楽仲間が担当されますが、車椅子の邦男さんも一緒にステージに上がり、首にかけたハーモニカを演奏されました。

 インタビューには、笑顔で、でも、少し照れくさそうに答えておられました。邦男さんのご両親は、会場の中でその晴れ姿を、嬉しそうに見ておられました。

 1曲ごとに、とても大きな拍手が起こります。曲の紹介は次回に・・・

大橋邦男さんCD製作発表コンサート①

大橋邦男さん
 私の知人のご長男の大橋邦男さん(52歳、周南市在住)は、先天性の障害(脳性まひによる肢体不自由)があり、これまでずっと車椅子の生活をされています。

 25歳の頃に、親元を離れ、ヘルパーさんの手を借りながら、一人暮らしを始められました。

 30年前は、障害者がやっと街に出ようとしていた時代です。邦男さんは、電動車いすを親から買ってもらい、一人で町へ出かけるようになったそうですが、当時の徳山市において、電動車いすで動いているのは、たった2人だったようです。

 ***************

大橋さんの言葉より

――――私が小さい時に、『どうして私は歩けないのだろう。どうして自分は手が動かないのだろう?』と思っていました。『みんなとはなぜ違うのだろう』と不思議でした。
そんなことを障害者なら誰でも思うのです。

 だんだん大きくなって、街に車椅子で出たら、人からじろじろ見られる時代がありました。多くの障害者が見られることを嫌っていました。障害がある自分が恥ずかしいから、見られるのが嫌なのです。

 でも、食べ方がおかしいとか、身体が曲がっていても、考えることが苦手でもよいのです。そんなことで悩むより、自分らしい夢を見ればよいのです。私はそうして生きてきました。――――

 ***************

 現在も、両方の手足は動きません。食事も介護の手が必要です。

 しかし、かすかに動く左脚の親指の先を上手に使ってパソコンを操作し、これまで長い間の趣味として、500篇以上の詩を書いてこられました。

 今回、その中の6つの作品に、友人の高島利治さんが作曲、仲間の皆さんの演奏でCDを製作されました。
       続きは後日・・・

十九世宏学真教和尚の晋山結制式が行われました

真教和尚さんと
 藤井家の菩提寺である曹洞宗・吉祥院で、十九世 宏学真教和尚の晋山結制式(しんざんけっせいしき)の法要が、14~15日の2日間に渡って行われました。

 晋山結制式とは、住職の就任披露の法要で、一生に一度の盛儀です。

 2日目の早朝は、かわいい稚児の行列もあり、檀家の多くの皆さんが行列に参加し、そのあと全員が本堂に集まり、粛々と儀式が行われていくのをじっと見守ります。

 晋山式では晋山開堂(しんざんかいどう)という儀式がありました。これは、住職就任にあたり、このお寺を道場として広く開放し、お釈迦様より脈々と伝わる正式な修行のために集った修行僧を、その長となって導くものです。

 真教和尚は、本堂の正面の須弥壇に登り、皆さんの方を向いて、多くの若い和尚様と禅問答をします。

 その中で、ある和尚様が
 「私は本日の祝宴の料理を担当しております。門徒の方が、今日のお祝いに、『ぜひ、住職にこれを兜焼にして召し上がってください』と、兜を持って来られました。どのように料理したらよいかわからないので、その方法を教えてください」
と、五月人形の兜をお盆に乗せ、うやうやしく持ち上げながら質問をされました。

 それに対し、真教和尚はほんの少し考えられた後、
 「今日は5月15日。吉祥院では、兜焼きは5月5日に食べることになっています。折角の兜です。来年の5月5日まで、吉祥院の冷蔵庫にて保存しておいて欲しい」
と答えられました。

 「一体どんな答えをされるだろう?」
と、じっと聞き入っていた多くの檀家の皆さんは、この答えに拍手をしながら大爆笑。私も初めての体験ですが、住職としての力量を試される禅問答を楽しみました。

 真教和尚は、先代・先々代が10年余り前に続けてお亡くなりになったため、跡を継ぐために、急遽広島での仕事をやめ、帰ってこられました。

 吉祥院は70年前に建てられたお寺で、本堂の老朽化に加え、度々の台風や地震等の災害により、補修整備が必要となり、この10年近く、その改修に尽力をしてこられました。そのため今日の晋山式も遅れたわけです。今日、無事、式を終えられ「法丈(ほうじょう)」様となられたことは、檀家として喜ばしい限りです。

 お釈迦様から数えて第84代の法丈として、このお寺をはじめ、地域の皆さんや各家のご先祖様をしっかり守って欲しいと願っています。
プロフィール

ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

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