最期の言葉に想う③

 夫は、病気がわかってから、わずか半年の闘病生活でしたが、この間、色々な言葉を残してくれました。
 
 *「百年生きても、千年生きても同じ事。一日一日を大事に生きればよい。例え、次の検査で悪い結果が出ても、『ニコッ!』と笑えるような人にならなければならない
(副議長を拝命した日。私が主治医の先生に「お願いだから、絶対に治してください」と頼んでいる姿を見て)


 *「人にはそれぞれの人生があるんだよ。54歳で死んだからといって、俺は思い残す事はないし、後悔はしない。やりたい事は全部やってきた。例え、いつ死が来ようと、俺は恐れないからね。それまで、その日その日の一日を明るく楽しく生きる。できればその間に、今日までお世話になった人にお礼がしたいね。それが残された仕事だよ。お前と二人で頑張ろう!」                                      (病気がわかった時、私が泣いている姿を見て)


県議4期目の出陣式です。この時、夫は47歳。毎日、とても充実していました。 *「選挙でみんなに迷惑をかけたけれど、今日までの長い間、政治家として、本当に楽しかった!面白かった!みんなのおかげで、最高の人生が送れた。俺は、いつでも全速力で走っている嵐のような男。そんな勇壮な姿のままで死にたいんじゃ。みんなには
『真が、ありがとうって言っていた。』
とお前からよろしく伝えてくれ。
」                            
(病状が悪化した時、「みんなに会いたい?」という私の問いに対しての答)


 *「今日はえっと(たくさん)人に出会ったよ。病院が面白いなんて思う人は、他には誰もいないだろうねえ。でも、僕は、この病院に入れていただいたおかげで、いい出会いがいっぱいあって、とてもよかったよ!ありがとうね!
(亡くなる2日前、担当の看護師さんへ)


 *亡くなる3日前、夫は、どうしても自分の口で言わなければならないことがある、ほんの数名の人に自分で電話をし、病院へ来ていただきました。病室のベッドに坐り、その一人ずつとゆっくりお話をしました。

 でも、とうとう時間が足りませんでした。

 「お世話になった全ての方へ直接お礼が言えないから」と、
皆さんへ、真が、『本当に楽しい人生を送ることができた!俺は幸せ者だ!ありがとう』と言っていたとお前からよろしく伝えてくれ
と私に託しました。


 人は、必ず死を迎えます。

 田中好子さんの最期の言葉をきっかけに、夫の最期の言葉を思い出し、
別れの言葉や感謝の言葉が言えるような人生を送りたい」と、強く思いました。

最期の言葉に想う②

 田中好子さんの言葉を聞き、私は夫の最期の言葉を思い出しました。

 私の夫は、9年7ヶ月前、54歳で亡くなりました。今でもあの光景をよく覚えています・・・。

 平成13年9月21日。県立中央病院の6階の一室。夫は痛み止めのモルヒネが効いており、眠っていました。私は何となく異変を感じ、夜11時頃、3人の子供たちを病院に呼び、一緒にベッドサイドで夫の顔をじっと見つめていました。

 明けて22日の午前3時40分、主治医の二人の先生が静かに部屋に入ってこられました。その瞬間、夫は急に目をパッチリと開け、さっと手を伸ばし、二人の先生と握手をしながら
先生お世話になりました
と、はっきりとした声で挨拶をしました。

 先生方は意識の混濁している夫から、きちんとお礼を言われたことに、一瞬戸惑われた様子でしたが、じっと目を見て無言で握手を返されました。そして、先生達は部屋の隅に立って、夫の様子をじっと見守っておられました。

 しばらくすると、夫はベッドの上で、クルッと私の方を向きました。私は、ベッドの柵をはずし、夫を抱き優しく背中をさすりました。すると、夫が、急に話し始めました。

 「いい人生だったなあ・・・
 「ばあちゃん頼むな
 「子供達を頼むな
 「みんなにありがとうって伝えてな

 少し顔をしかめるので、「お父さん苦しいの」と聞くと
「ああ・・」
と答えます。
「もう少し待ってね。今、みんな病院に向かって来ているからね」
「うん」

 しばらく話をしていると、眉間にしわを寄せます。
「つらいの?」と聞くと、「うん」と頷きます。
「じゃあ、行ってもいいよ。先に逝って待っててくれる?」

 すると、「うん」と言った瞬間、夫は急に動かなくなりました。

 「お父さん、息しなきゃあ死んじゃうよ」
 「ふーぅー」「ふーぅー」と大きく2回胸を膨らませたまま、夫は帰らぬ人になってしまいました。

私の腕の中で、夫の命は、すーっと静かに消えていきました。 この時、午前4時半。
 夫は最後の一瞬まで自分を見失うことなく、しっかりと尊厳を持って生き抜くことができました。









最期の言葉に想う①

 「スーちゃん」の愛称で親しまれていたアイドルグループ「キャンディーズ」の田中好子さんが、乳がんのため東京都内の病院で亡くなられ、告別式が行われたというニュースを観ました。

 55歳という若さです。心が痛みます・・・。

 式の中で、田中好子さんが生前に録音されていた「最後の肉声」が流れました。聞き覚えのある、でも、少し線が細くなった声で、そして、途中からは、とても息苦しそうな息づかいの様子が感じ取られるテープでした。私は、テレビの前に釘付けになり、じっと聞きました。全文をご紹介します。

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 こんにちは、田中好子です。

 今日は3月29日、東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が、破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でも、その時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが、私の務めと思っています。

 きょうお集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。
 
 キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。特にランさん、ミキさん、ありがとう。二人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。

 お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

 いつの日か、義妹、夏目雅子のように、支えて下さった皆さまに、社会に、少しでも恩返しができるように、復活したいと思っています。

 かずさん、よろしくね。その日まで、さようなら。


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 自分の命が消えようとする時に、人は何を思い、何を伝えるのでしょう。

 普通の人は、自分が残していく家族に最後のまなざしを向けるのでないでしょうか。

 顔も名前も知らない他人のことを想い、天国でその人たちの役に立ちたいとおっしゃった田中好子さん。最期のメッセージに込められた言葉は、これまで、素敵に生きて来られた結果なのでしょう。心が揺さぶられました。

選挙戦を振り返って

 このたびの選挙戦を振り返って、皆様に写真でご紹介致します。

20110423.jpg【出陣式】 
 周南緑地公園にて
 「今日から9日間の選挙戦、全力で頑張ります!」










20110423-2.jpg 山口県看護連盟会長の福永さんが、防府から花束を持って激励にかけつけてくださいました。





    






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 【個人演説会】
 熊毛サンウィングをはじめ、周南市民館小ホール・須々万農村環境改善センター・櫛浜小学校講堂・久米公民館・桜木公民館6ヶ所で行いました。
 各会場とも、たくさんの方に来ていただき、これまでの活動を映像でも観ていただきました。






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 また、「楽団みかんの花」のボーカルのなおちゃんとマイク嬢のまりちゃんがユニットを組み私への激励と東日本大震災への思いをはせ、小田和正の「たしかなこと」とZARDの「負けないで!」を演奏してくれました。








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 聴覚障害者の方が来場される場合は、手話通訳をお願いしました。










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 最後は全員で「ガンバロー!!」で心を一つにしました。












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 高村代議士をはじめ、多数の来賓の方々に応援に来ていただきました。










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 【街宣】
 たくさんの方と握手をさせていただきました。
 オレンジ色のブルゾンを着ている人は、行動隊の元気な若者達です。










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 市内の隅々まで廻りました。












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 【当選】
 万歳!












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 皆様のおかげで、すばらしい結果をいただきました。












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 【おまけ】
 1歳半の孫が突然、テレビに駆け寄り、画面を指差して、「あっー!」と言ったそうです。長女から「ばあちゃんのこと、わかっているみたいよ」と写真添付のメールが届きました。まだ、「おばあちゃん」という言葉は出ませんが、わかってくれているのは本当に嬉しいですね。







3期目の議員生活がスタートしました

 先日、当選証書をいただき、今日は山口県議会棟で、今議会初の自民党の党議が開催されました。

 自民党会派は29名のメンバーで構成されており、その中で、女性は私一人です。

 自民党にはこれまで、3人の女性県議がいらっしゃいました。

 一人目は、宇部選出の花田ちえこさん。二人目は亡き夫が厚生委員会の副委員長だった時、委員長だった下関市選出の三井十三子さん。三人目は、防府市選出の岸田淳子さん。

 私は自民党では、4人目の女性県議となりますが、3期目の議席を頂いたのは、私が初めてだそうです。

 驚きと共に、私にしか見えないものがあり、私にしかできないことがあると改めて思います。

 私のキャッチフレーズは「人にも自然にも優しい社会を!」です。まさに、女性の目線でこれからも働いていきたいと考えています。

栗屋事務所に帰りました

 選挙も終わりましたので、「徳山高校前事務所」を閉め、元の「栗屋事務所」に帰ってきました。

 徳山高校前事務所は、交通アクセスの良い閑静な住宅街の中にあり、そこにお住まいの方たちは、私たちを温かく受け入れてくださいました。

 おかげさまで、とても快適に、後援会活動や選挙活動を行うことができました。心から厚くお礼申し上げます。

 栗屋事務所
 〒745-0802
 周南市栗屋724
 電話 0834-26-0123
 FAX  0834-26-1122

栗屋事務所





















3期目の議席を得させていただきました

 県議選が、無事終わりました。

 16,177人の方に、「ふじいりつ子」と書いていただき、3期目の議席を得させていただくことができました。

 この選挙戦、振り返ってみれば、震災や原電事故の直後であったため、なかなか選挙ムードにもならず、市民の皆さんの関心が低いままスタートしたように思いました。

 しかし、この9日間、市内の隅々まで走り回ったところ、多くの市民の方が、街宣車に駆け寄ってこられ、
 「りっちゃん、待っちょったんよー」
 「頑張ってね!」
 「りっちゃん頼むよ!」
と、たくさんの暖かい声をかけてくださいました。

 そして、握手をする両方の手を離されませんでした。
 
 「私は、こんなに皆さんに期待をされているんだ」
改めて、自分の立ち位置をキャッチし、また、責任の重さを痛感しました。

 初心に返り、県政発展のために、特に、看護師の経験を活かし、皆様の大切な命と暮らしを守っていくことに、全力で取り組む所存です。

 また、少子高齢化による人口減少など山口県が抱える課題も山積しています。
景気の回復、雇用の確保、商工業や農林水産業の振興、教育の充実、環境問題など、あらゆる分野にわたって取り組んでまいります。

 尚、公職選挙法により、ネット上での当選お礼は記載できませんので、お許しください。

プロフィール

ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

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