周南市自衛隊入隊予定者の激励会が開催されました

 2月22日、周南市保健センターにおいて、周南市自衛隊入隊予定者の激励会が開催され、県議としてご案内を受け出席しました。

 今年の自衛隊入隊者は9名(陸上自衛隊が8名、海上自衛隊が1名)です。

 今、我が国は、国内外において、様々な面で大変厳しい環境下にあります。入隊者の皆様は、厳しい訓練が待っていると思いますが、我が郷土の代表として高い使命感と誇りを持って、優秀な自衛官として日本の国を守っていただきたいと念願いたします。

 県東部の高校を卒業した人、徳山大学を3年で中途退学し入隊する人等、様々ですが、一人一人に、
「なぜ、自衛隊に入る事を選んだの?」
と質問すると
 「中学生の頃から、かっこいい職種だと認識していた」
 「父親が消防署に勤めている。より多くの人の役に立ちたいと思ったから」
 「徳山港に護衛艦が入った時、こんな船に乗りたいと思った!」

等の答えを頂きました。

 万歳三唱の音頭をとらせていただいた際、私は、若者の情熱あふれる表情を見て、緊張しましたが、熱い視線に感動しながら、同時に、心強く思いました。

 皆様には体に気をつけて、日本を守るために全力で頑張って欲しいと願っています。

「君が代」

写真は12月のものですが…輝き推進大会にて。国歌斉唱。 1月に入りお正月からずっと、多くの行事に参加していますが、席上、国歌斉唱をする場合も多々あります。

 起立をし、国旗「日の丸」を仰ぎながら、みんなで「君が代」を歌い、最後に国旗に「一礼」をして着席するというこの動作が私はとても好きです。

 「君が代は 千代に八千代にさざれ石の いはおとなりて 苔のむすまで

 「君が代」はドイツでの世界国歌評定会で第1位の秀歌に選定されています。

 歌詞は今から約1100年前、醍醐天皇が紀貫之らに命じて編集させた日本最古の歌集である『古今和歌集』の巻第七、賀歌の部の第三四三番にある「我が君は千世にやちよにさざれいしのいはほとなりて苔のむすまで」がルーツと言われています

 詠み人知らずの歌で、日本古来の雅楽の旋律を取り入れて現在の曲となり、長寿を願うお祝いの歌として愛唱された歴史もあるそうです。

 「君が代」が国歌になる経緯は、1870(明治3)年、イギリス公使から「国歌があった方がいい」と進言され、歌詞の選定を一任されていた薩摩藩士歩兵隊長、大山巖が古今和歌集の中から採用されたそうで、明治15年、文部省は国歌として制定しました。

 その歴史について調べていると、日本の国旗も国家もとても素晴らしいものだと誇りに思い、改めて、日本人に生まれてよかったと思います。

 「周南市戦没者追悼式」「追悼法要」が開かれました

追悼式典にて 5月10日、周南市文化会館大ホールで、太平洋戦争などで亡くなられた人たちの冥福を祈る「周南市戦没者追悼式」と「追悼法要」が開かれ、みんなで平和への誓いを新たにしました。

 1937年に始まった日中戦争から、1945年に終わった太平洋戦争で、市の出身者、約4500人が戦争の犠牲となられたそうです。

 特に、大きな犠牲があったのが、太平洋戦争末期の昭和20年5月10日と、7月26日~27日未明の2回にわたる徳山大空襲

 米軍のB29が軍事・軍需施設の第三海軍燃料廠や徳山鉄板工場を爆撃。徳山市街地の90%が壊滅状態となり、一般市民を含む約1000人の方がお亡くなりになられました。

 そこで、追悼式は、最初の空襲に合わせて、毎年5月10日に行われています。

 式にはご遺族の方たち約450人が参列し、亡くなられた方のことを偲びながら花を手向け、御霊に手を合わせました。戦後生まれが80%を超える時代となり、年々、参列者が減少しており、とても寂しい感じがします。

 現在、私たちが平和と自由を享受できるのは、英霊の尊い犠牲の上に成り立っていることを決して忘れてはなりません。

 また、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、平和の尊さを次の世代に語り継ぎ、再び悲しみの歴史を繰り返さないことが、「今」を生きる私たちの責務だと思います。

 尚、毎年、式典には私が顧問をしている蓮生まこと幼稚園の園児が、献花のお手伝いに来てくれます。今年も、園児4名がステージの上で、緊張した表情で、来賓一人ずつに花束を渡してくれました。その可愛い仕草に、会場から何度も拍手が起こります。

 実は、蓮生まこと幼稚園の先代の園長先生は、ご主人を亡くされており、長年、遺族会のお世話をしておられました。御英霊の皆様も、園児の皆さんが大きくなるのを、目を細めて見守ってくださっていると思います。合掌。

櫻井よし子さんの講演を聴いて

 4月13日に山口市民会館大ホールで開催された櫻井よし子さんの講演会に行きました。

 タイトルは、「今、なぜ憲法改正が必要か! ~日本人の誇りを取り戻すために~ 」。

憲法とは何?
  ・国家国民の基・根本で、国がこれからもずっと永続的に存続するために必要なもの。
  ・その民族が何を一番大事な価値観としてきたか?
  ・改正すると言っても、日本人の心が変わるものではない。
9条は大事!
  ・でも、もっと他にも大事なものがある。
  ・このままでは日本人の規範意識が壊れ、日本国が危うい。
日本民族の素晴らしさはどこから?
  ・皇室の存在
  ・神話
  
などから始まった講演は、日本の国民が大切にしてきた「家族」の役割から、諸外国との外交問題、TPP、国家の役割まで、多岐にわたって、私たちが理解できるようわかりやすく噛み砕いて話してくださいました。

 「この国は、いつまでも存続するはず」と、何となく安心して暮らしている私どもの心に、鮮烈な危機感を与えてくださいました。

 「今を生きる私たち日本人は、何のためにこの日本の国に生まれてきたのか?」

 「日本の国を守るためにでき得るすべてのことをなさなければならない。憲法改正は、一日も早くしなければならない

以前、創生「日本」にて櫻井さんとご一緒した際の写真。 90分の講演の中には、多くの皆様に知っていただきたい言葉がたくさんあったのですが、あまりに多すぎてここに掲載しきれません。

 櫻井さんは各地でご講演をされていますので、機会があれば、是非お聴きになってみてください。


※写真:H22年の創生「日本」第1回研修会にて。
 この度の講演では撮影が禁止されていたため、写真はありません。

靖国神社へ参拝してきました

靖国神社にて 数回にわたり手記を掲載させていただきました。

 山崎さんの体験、想いを何度も読み返し、「戦争のため子供たちが次々と理不尽な死を遂げて、どんなにか辛い日々であったろう。いかに切り抜けてこられたのだろう・・・」と涙ながらに思いました。

 遺族会の皆様とお話をする時、いつも身につまされる思いを致します。

 戦後69年経った今もお国のためとはいえ、やはり、戦没者遺族の皆さんにとって、愛するご主人様やお父様、兄弟の方を失われたことは、筆舌に尽くし難いできごとであり、記憶から消すことのできない辛い体験であったと思います。

 敗戦の混乱した社会情勢の中で、深い心の傷を背負いながら、幼子を抱えて、血のにじむような苦闘の日々をよくぞ切り抜け、乗り越えられたことと思います。

 ご主人を喪われた妻の立場の方たちは、現在90歳を越えておられます。お父様を喪い、遺児となられた皆様も、現在、既に70歳代

 戦争を体験された方々が少なくなる中、戦争の事実を風化させてはなりませんし、御英霊のご遺徳を長く後世に語り継ぐ事、また、ご主人やお父さんを戦地に送り出した後も、必死に国を守ってくださった方々の血のにじむような努力を忘れてはならないと思います。

 その思いを心に深く刻み、4月13日、靖国神社の参拝に行ってまいりました。桜の花びらが舞い散る中、御英霊の皆様に感謝の心を届けるために手を合わせてきました。

周南市戦没者遺族大会④

のつづきです・・・


 背負った荷物をおろし、汚れた服を脱がせ、風呂を沸かして入れてやる。山積するほどの話。終戦になるまでの兵士の苦労が痛いほど身に沁みる。

 「弱気では、これからは生きられんぞ」と我に言い聞かせ、息子の体をまず養生してやらねばと思い、またしても一生懸命。

 息子も我が家での安堵の気分に浸りながらも、あまりにも弱った体は1、2年の内に快復するはずもない。私の手伝いができないのを気にしながら、毎日床にいるようになった。

 「今に元気になるよ。なるんだぞ」と励ますものの、充分な栄養を与えることもできず、次第に弱ってくる息子。

 そして10年、養生のかいもなく、私を残して他界してしまった。

 本当にひとりぼっち。なにも手にする根性もなくなり、淋しい毎日が続く。当時、54歳。

 そして、ふと我に返る。仏になったものへの供養のため、生涯この体が続く限り頑張ろう。

 戦争の終止を決断なされたのも、天皇陛下様のご心労のおかげと聞く。恐ろしい戦争はもうないだろう。目に涙の潤まない日はなかったけれど、せめてもの墓参りに気を鎮める。

 昭和43年。主人の身内の者、一家4人を後継者として入籍。53年から同居し、幸せな毎日を送る。

 これでよいのだろうか。もったいないことばかり。

 朝、目が覚めると思う。
 「今日も私のこの手が、足が不自由もなく動く。生かされている。」
 護っていただく喜び。ただただ感謝いっぱい。

 帰らぬ夫や子供たちに、世の移り変わりを語りかける墓参の楽しみ。ありがとう。


  平和な世の中であることを祈ります。


    昭和56年5月10日  90歳



**********

周南市戦没者遺族大会③

のつづきです・・・


 時に7月26日、またしても敵機来襲。「早く壕に入るように」と警備の人の叫び声を耳にする。娘と一緒に走る。壕まで間に合わず、近くの竹やぶにしゃがむ。

 米軍編隊機の低空飛行のすさまじい音が響き、「アレ!」

 飛行機頭上、「お母ちゃん!」と娘が傍で大きな声を出す。

 「静かに、静かに」と娘を抱き寄せる。その体に、弾が「ズシン!」

 「スミ子よ、スミ子よーう」

 飛行機の音が遠ざかる。娘は声を出さぬ。直撃を受けて死んでしまった。泣く涙も出てこない。

 あたりにも、娘と同じ幾人かを見る。隣保班の方たちが、担架を持って家まで運んでくださった。

 またしても葬式。わずかな月日の間に、肉親3人との死別。運命と言えども、何を考える余裕もない。明日の自分はどうして生きればよいのか…

 戦場にいる息子よ。お前のところはまだまだ恐ろしい大砲の音の連続だろうなぁ。内地でさえもこの有様。母の思いがあの子に通じるだろうか?

 心寂しさはこの上もない。一人ぼっちのこの私。途方に暮れる毎日。


 時に8月15日。戦争は終わりを告げ、身震いするほどの空襲の恐ろしさを忘れられないまま、増産に精励の通達。
 食糧生産物の供出や、農耕も人手を借りる。月や星を見ながら家に帰るのも常の事。がむしゃらに働き続ける。
 「息子よ、生きて帰って欲しい」という願いを込めて、本当に一生懸命働いた。


 昭和20年9月。薄汚れた軍用毛布を背負い、痩せこけた目のくぼんだ男が戸口に立つ。

 「この家は焼けなくてよかったね…」
 「あなたは誰?」

 何と!徳山駅で下車し、焼け野原となった街を疲れ切った体で徘徊して、やっとたどりついた息子ではないか。

 「よう帰ってきた。よう帰ってきた。」
 一瞬、言葉の出しようもない。抱き合う2人。久しぶりの対面。溢れる涙は互いに止まらない。



つづく・・・

周南市戦没者遺族大会②

涙が止まらない朗読でした。 第一部の式典の中で、富田婦人部長の大嶋幸子さんによる「涙魂(るいこん)」の朗読がありました。「涙魂」は戦争でご主人を亡くされた方の体験をつづった手記集で、とてもぶ厚い本です。

 朗読の前に、まず大嶋さんから説明がありました。

 「この原稿を書かれたのは村上公子(まさこ)さんという現在94歳の方です。戦争未亡人の体験を書いてほしいという依頼が来た時に、戦後を切り抜けた自分の人生も大変だったけれど、友人でもある同じ富田遺族会の山崎クラさんの方が、より痛ましい、壮絶な体験をお持ちだし、いつもお話を聞いているからと、山崎さんに代わって書かれたものです

 原稿を書かれた村上さんも会場にお見えになっており、指名を受けると、すっと席を立ち、お年を感じさせないお姿で、今の気持ちを話され、感動しました。


 朗読は、涙なくして聞く事ができないものでした。

 許可をいただきましたので、全文をご紹介します。


************

戦争の思い出


 昭和18年9月。第2回目の応召で長男が出征のあと、私たち夫婦と娘2人、共に農業に励んでいた。

 19年4月24日。突然、夫が脳溢血で倒れ、その日のうちに死亡する。残る娘2人を頼りに、悲しむ間もなく食糧増産のためにがむしゃらに働き続けた。

 だんだんと戦火もこの地に近づき、毎日のように敵機来襲の警報有りの連続。

 長女は当時23歳。徳山燃料廠に勤務。

 昭和20年5月10日。この日も元気に出勤。午後、徳山奈切方面に大空襲。言うまでもなく、燃料廠も大破壊。空を突くような黒煙がもうもうと立ち上る。夕方になっても帰らぬ娘に、まさかという思いと、胸騒ぎが交錯した、眠れぬ一夜を明かす。

 翌朝、見知らぬ男の人が我が家に来られ、
「山崎さん宅はこちらですか?お宅の娘さん、昨日の爆撃により防空壕の中で亡くなられました。確認し、連れて帰ってください。」
 唖然とする他はない。末娘や親戚のものを連れて5km離れた燃料廠へ大八車をガラガラ引きながら、現地に急行。

 娘が「お母ちゃん、まるで気でも狂ったような」と言う。
 「なんのかんのあるものかい。頼りにしていた姉ちゃんが死んでしもうて。情けない!」
 気も転倒。急ぐ思い。もつれる足取り。

 現地についてみれば、黒焦げの焼死体がいくつも並んでいる。その遺体に取りすがり、「お父ちゃーん」と泣きじゃくる子供連れの女の人、肉親を捜すあの人この人、そんな中から荒板で作った箱に入れられ、あまりにも変わり果てた娘の遺体をやっとの思いで見つけ、大八車にのせ、引っ張って帰る。

 時折空襲警報のある中で、近所の方々のお手伝いを受け、簡単な葬式を済ます。

 悲しんでいる間もなく、度重なる空襲警報。19歳の末娘と共に、防空壕に何度出入りしたことか。


続く・・・

周南市戦没者遺族大会①

遺族大会にて県政報告をさせていただきました。 去る3月16日、周南市連合遺族会主催による「第29回周南市戦没者遺族大会」が周南市民館で開催されました。

 私は県議になってからずっとご案内をいただき、毎年、出席させて頂いております。また、第二部では毎年、県政報告もさせて頂いています。

 今年は、式典の中で心に残った言葉、先日の山口県知事選挙について、そして児童養護施設「共楽園」について、お話をさせていただきました。

・大正13年に河野諦圓氏が託児所として開設された県内で2番目に古いもの。
・戦後は、戦災孤児を預かり、昭和23年に児童福祉施設として認可された。
・以前は、親がいない子が入る施設。今は、家庭の事情、例えば、経済的理由や虐待などの理由で親と一緒に生活できない、2才から18歳までの子ども達、約60名が入っている。
・この子たちに掛かるお金は国・県・市から出ており、地元の幼稚園や小中高校へ通っている。
・親代わりとなって面倒みてくださる約30人の職員さんがいるが、子ども達を健全に育てていくには、職員の力では、難しい面も多い。  ―例えば、経済面。(高校卒業時に取得する車の運転免許、独り立ちをする際のアパートへの入居費用や、給料をもらうまでの生活費など)
・4年前「共楽養育園児のサポートする会」を立ち上げ、子ども達への支援の輪を広げる活動を始めた。
・お金・物・愛情など何でも受け付ける。
・お金は、卒園祝い金、自動車運転免許を取る補助、ヘルパー等、資格取得補助 等、とても有効に遣われている。
・「サポートする会」ができてから、共楽養育園のことを市民に知ってもらうことができ、支援の輪が広がってきた。


などお話しました。

 そして、最後に
「先日、周南市出身のまどみちおさんが104歳で亡くなられました。
♪ぞうさんぞうさん、誰が好きなの?あのね、母さんが好きなのよ♪
 誰も、お母さんが大好きです。でも、その大好きなお母さんと一緒に暮らせない、幸の薄い子ども達がいる事、また支援の手が必要であることを知ってほしい
 子どもは、国の宝です。
 多くのご英霊の重く尊い犠牲の上にある、私達の平和な生活に改めて感謝し、平和の尊さを子ども達に伝えていかなくてはなりません。
 そして、子ども達を心ある日本人としてしっかりと育てていきましょう
と締めました。

 遺族会の皆様も段々と高齢化しており、次代へ繋ぐことも難しいように思えます。しかし、国を守るために自ら犠牲となってくださったご英霊の顕彰は、決して怠ってはなりません。

 次世代を担う子どもたち、若い方たちにも、しっかりと心を伝えていかなくてはと思います。

山口県防衛協会の50周年記念式典に参加して

記念式典にて。  山口県防衛協会(福田浩一会長)が50周年を迎えられ、去る20日山口市のホテルで、前防衛大臣 森本敏先生の記念講演や記念式典が開催されました。

 山口県防衛協会は防衛意識の普及高揚をはかり、自衛隊(昭和29年発足)及び関係団体の健全な育成発展に協力することを目的として昭和39年に設立されました。

 以来、機関紙「防衛山口」の発刊、防衛に関する講演会の実施、陸・海・空自衛隊音楽演奏会などを通し、防衛思想の普及や、自衛隊に対する激励支援等、幅広く日本の防衛について協力支援活動を推進しておられます。

 平成元年に女性部会、平成11年に青年部会が設立されました。また、各市においても支部が設立され、活動は県民に広く浸透してきています。

 自衛隊の活動としては、国土防衛や東日本大震災を始めとする大規模災害における救助・救援活動など、我が国の平和と安全の維持はもとより、南スーダンにおけるPKO活動、ソマリア沖の海上安全確保など、多様化・国際化しており、その役割はより一層重要なものになっています。

 また、本県は国の防衛上、重要な地域にあることから、岩国市・防府市・山口市・下関市・萩市に陸・海・空の8つの基地と自衛隊地方協力本部があります。

 国土防衛のみならず、豪雨災害や山林火災などへの災害派遣活動、離島からの急患搬送など、県政に大きな力を発揮していただいています。

 将来にわたって平和と繁栄を維持していくために、国の適切な防衛努力とともに、国民の防衛に関する深い理解と協力が不可欠であることは言うまでもありませんので、私もこの協会に入り、活動をしているところです。

 全国防衛協会連合会長が挨拶の中で、
山口県は全国でも1、2を競うほど、自衛隊に協力をして頂いている
と言うお褒めの言葉を頂きました。

 また、海上自衛隊の下関基地隊司令杉原1等海佐は
出動の時を、自分では選べない。いかなる時も、勇気をもって立ち向かう覚悟が必要
と言われました。

 国民の一人として、これからもしっかり応援していきたいと思っています。
プロフィール

ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

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