夫の14回目の命日を迎えて

正座でちょこんと座り、小さな手をあわせ、いい子にしていました。 裏庭の曼珠沙華の花が風に揺れる中、夫の14回目の命日を迎えました。子供や孫たちも集まり、仏壇の前で一緒に手を合わせました。

 0歳から4歳の4人の孫にとっては一度も抱いてもらったこともない、見たこともない「おじいちゃん」。

 お仏壇の前で正座をし、方丈様のお経を聞きながら目を瞑り、お数珠をかけた小さな手を合わせている姿に、
「きっと夫がこの子たちを見守ってくれている」
と感じました。


日常的にも仏壇に「おじいちゃんー」と話しかけています。 また、ありがたいことに多くの友人が
まこちゃん、久し振りじゃのぅ!
まこさんは、いつまで経っても若いねぇ!
と、夫に会いに来てくださいました。

 夫の周りにはいつもたくさんの人がいてくださいました。13年経った今日もこうして会いに来ていただき、夫とのふれあいのひとこま、夫が言った言葉などを写真の前で話してくださる皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。

夫の13回忌

13回忌の法要は親族で執り行いました。 先日、9月22日は夫の13回忌の日。

 今年も、同級生や友人、青年団の時の友達、仕事でお世話になっていた方や親戚など、朝から次々と仏様のお参りに来て下さいました。今年は13回忌の法要も執り行ないましたので、夫の遺影の中で一番大きいサイズの写真を仏壇の横に飾っています。

 夫がいなくなって丸12年。半年間しっかりと看病しましたし、私の腕の中で息を引き取りましたので、亡くなったことは充分理解しています。でも、やはり、笑っている夫の大きな写真を見ていると、「この人、いったいどこへ行ったんだろう・・・?」と、変な錯覚にとらわれます。

 そして、時には「夫が生きていたら・・・」と、頭に描くこともありますが、「たら」という言葉を使うと、夫が一生懸命いきてきたことを否定してしまう様な気がして、いつも自分ですぐに打ち消してしまいます。

13回忌のため子どもたちも皆帰ってきました。 藤井家に嫁いで34年余り。両親も夫も見送った今、仏様を大切に守りながら、次の世代をしっかり育てていくことが私に課せられた大きな仕事だと思っています。

 同時に、夫の遺志を継いで、県議という立場をいただいたのですから、これからも県民の皆さまのために、全力で頑張りたいと思っています。

 ***********************************

 今年も夫の主治医だった原田先生が、ご家族お揃いでお参りに来てくださいました。

 ご長男は、夫が亡くなった直後に誕生されましたので、生まれ変わりのような気がしています。満12歳になられた彼の成長の姿は、夫が亡くなってからの時の経過を改めて教えてくれます。

 将来の夢を聞くと「お医者さんになりたい」そうです。とても優しいお子さんですし、夢が叶った時には、きっと、人の気持ちがわかる素晴らしいお医者さんになられるでしょう。頑張ってね!期待しています。

夫の11回目の命日を迎えました

命日には家族が皆集まりました。孫たちもすくすくと元気に育っています 裏の畑に咲いている真っ赤な彼岸花が風にゆらゆら揺られています。

 22日は夫の11回目の命日でした。朝からたくさんの方々がお参りに来てくださいました。

 その中には、夫の主治医だった先生もいらっしゃいます。夫が亡くなった直後、まるで生まれ変わりのように誕生した先生のご長男は、既に小学4年生だそうです。時の経過の速さに、改めて感慨を覚えます。
 「真さんは、僕が往診した最初の患者さんです。僕の地域医療の原点は真さんです!
と言ってくださることは、夫の死が無駄でなかったことにつながり、感謝の気持ちでいっぱいです。

 また、夫の最後の仕事となったSさんもわざわざ高松市から来て下さいました。Sさんは、毎月の月命日には欠かさず、仏様にお供えを送ってくださいます。
「この10年間には会社が本当に厳しい時もあった。やめようかとも思ったことがある。でも、真さんが、顔も知らない我々に対し、一生懸命働いてくださったことを考えると、音を上げるわけにはいかなかった。これからも、できる限り頑張ります」
と、力強く話してくださったことは、何よりも嬉しいことでした。

 また、毎月の月命日に1度も欠かさず、お墓参りをしてくださった夫の後輩のYさんも来て下さいました。Yさんは、私の毎日の活動を、ブログを通してキャッチし、いろいろな話をしてくださいます。私の理解者で、とても心強く思います。

 青年団時代からの友人や、議員活動を通じての仲間の皆さんもたくさん来てくださいました。丸10年という大きな節目の日に、このように多くの方に手を合わせてもらえる夫は本当に幸せ者だと思います。

 墓前でこの10年間の出来事を報告しましたが、考えてみれば、私自身も藤井家も、そして、社会も自然環境も、大きく変化した10年であったように思います。

 そして、向こうの世界に逝く日まで、毎日毎日を大切に生きていかなければならないと改めて感じた一日でした。合掌。

最期の言葉に想う②

 田中好子さんの言葉を聞き、私は夫の最期の言葉を思い出しました。

 私の夫は、9年7ヶ月前、54歳で亡くなりました。今でもあの光景をよく覚えています・・・。

 平成13年9月21日。県立中央病院の6階の一室。夫は痛み止めのモルヒネが効いており、眠っていました。私は何となく異変を感じ、夜11時頃、3人の子供たちを病院に呼び、一緒にベッドサイドで夫の顔をじっと見つめていました。

 明けて22日の午前3時40分、主治医の二人の先生が静かに部屋に入ってこられました。その瞬間、夫は急に目をパッチリと開け、さっと手を伸ばし、二人の先生と握手をしながら
先生お世話になりました
と、はっきりとした声で挨拶をしました。

 先生方は意識の混濁している夫から、きちんとお礼を言われたことに、一瞬戸惑われた様子でしたが、じっと目を見て無言で握手を返されました。そして、先生達は部屋の隅に立って、夫の様子をじっと見守っておられました。

 しばらくすると、夫はベッドの上で、クルッと私の方を向きました。私は、ベッドの柵をはずし、夫を抱き優しく背中をさすりました。すると、夫が、急に話し始めました。

 「いい人生だったなあ・・・
 「ばあちゃん頼むな
 「子供達を頼むな
 「みんなにありがとうって伝えてな

 少し顔をしかめるので、「お父さん苦しいの」と聞くと
「ああ・・」
と答えます。
「もう少し待ってね。今、みんな病院に向かって来ているからね」
「うん」

 しばらく話をしていると、眉間にしわを寄せます。
「つらいの?」と聞くと、「うん」と頷きます。
「じゃあ、行ってもいいよ。先に逝って待っててくれる?」

 すると、「うん」と言った瞬間、夫は急に動かなくなりました。

 「お父さん、息しなきゃあ死んじゃうよ」
 「ふーぅー」「ふーぅー」と大きく2回胸を膨らませたまま、夫は帰らぬ人になってしまいました。

私の腕の中で、夫の命は、すーっと静かに消えていきました。 この時、午前4時半。
 夫は最後の一瞬まで自分を見失うことなく、しっかりと尊厳を持って生き抜くことができました。









貴船神社の「特製うちわ」をご紹介します

貴船神社のうちわ
 8月1日、市内粭島の「貴船神社」で恒例の夏祭りが行われました。このお祭りは、「海を渡る神輿」として有名であり、全国から多くのカメラ愛好家の方が来られます。
   
   2005-07-31  粭島の貴船祭りを見物して

 また、周南市文化会館の緞帳にもデザインされています。
  http://www.s-bunka.jp/zaidan/bunkakaikantop.html

今年は、残念ながら他の行事と重なり、行くことができませんでした。

 8月上旬に、粭島の高松さんという女性の方が事務所に来られ、
「りつ子さん、見て。いいでしょう!貴女にあげたくて持って来たの」」
と言いながら、「うちわ」を差し出されました。

 何と、その「うちわ」の表には、亡き夫の名前「真」という文字が大きく書かれているではありませんか!

 お話によると、これは、貴船神社総代会が作られた特製の「うちわ」で、粭島にお住まいの周南書道連盟会長の石村周寶さんが一枚に一文字ずつ、「涼」「麗」などいろいろな文字を自筆で書かれたものだそうです。
 
 裏には「粭島 貴船神社」と書かれています。でこぼこの「うちわ」に書くことは、本当に難しいと思います。

 その技と字の素晴らしさに感心をしながら、同時に、夫が帰ってくるお盆の直前に頂いた心のこもった嬉しいプレゼントでしたので、皆様にご紹介をさせていただきました。

夫が亡くなって100ヶ月が経ちました

0makoto.jpg
 夫が亡くなったのは、平成13年9月22日。

 毎月22日の月命日には、未だに心が沈んでしまいます。お墓に行って近況報告をし、「これからも、子供たちや孫を見守ってくださいね」
と手を合わせますと、ようやく、心が穏やかになります。

 そんな生活をし始めて、今日で丁度100ヶ月。100回目の節目の月命日を迎えました。

この間、一日たりとも夫のことを忘れた日はありませんが、最近は、議員活動をする上で、あまり夫の話はしないようにしています。

しかし、今でも
「ご主人様には、お世話になりました」
と話してくださる方がいらっしゃいます。本当に嬉しい限りです。

 夫の友人であるYさんは、この8年4ヶ月の間、毎月22日には、お墓と仏様のお参りに来てくださっています。誰にも真似のできることではありません。夫もきっと喜んでいることと思います。Yさん、いつもありがとうございます!

***参考***
  
  http://ja.wikipedia.org/wiki/藤井真

Sさんとのご縁に感謝

若いお二人の幸せを心からお祈りします
 夫が病気療養中だった平成13年の8月末、Sさんから初めての電話がかかりました。

 「徳山で、新しい仕事を始めたいので、力を貸して欲しい」
という内容でした。夫は、Sさんと出会い、詳しくお話を聞き、早速、手配をしました。

 それから1ヶ月足らずの9月の末、Sさんが、
「ありがとうございました。おかげで、上手く行きました!これで仕事が始められます!」
と、挨拶に来ていただいた時には、既に夫は亡くなった後でした。

 Sさんは、
 「藤井さんが病気だなんて、全く知らなかった・・・申し訳なかった・・・」と、仏壇の前に座られ、涙を流されました。

 夫は、Sさんとは初対面でしたが、
「山口県で仕事をしたい」
と、遠い高松から自分を信じて頼ってこられたSさんに対し、
 「うまくいけば、山口県の活性化にもなるし、雇用の確保にもなるので、できる限りのことをして差しあげたい」
と思ったようです。

 実は、それが、夫の最後の仕事になりました。

 あの日から丁度8年経ちますが、Sさんは、今でも、毎月の月命日には、仏様のお参りに来てくださいます。誰もが真似のできることではありません。Sさんの誠実さには頭が下がります。

 このたびSさんのお嬢さんの結婚披露宴に招待していただきましたので、高松市へ行ってきました。

 新婦は21歳。ご両親の愛情を一身に受けて育った、とても可愛いお嬢さんです。新郎は27歳。優しそうな、明るい好青年です。

 披露宴でご挨拶の場をいただきましたので、8年前の頃のことを話したところ、
「当時、私がその仕事の担当者でした」
と、企業の方が、私の席まで挨拶に来てくださいました。

 後1週間で、夫の9回目の命日を迎えます。何年経っても、このように人様に思い出して頂き、偲んでいただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。人と人とのご縁の不思議さを感じながら、また、お二人が笑顔の絶えない幸せな家庭をつくられることを願いながら、帰路につきました。

夫の8回忌を迎え

「勲4等  旭日小綬章」の賞状と勲章  夫が向こうの国へ行って早や7年。今年も庭の彼岸花が、この日を忘れずに咲いてくれる中、大勢の皆さんが仏様をお参りしてくださいました。


 同級生の皆さんは既に61歳。

 「真はええのオ!年を取らんで!」

と54歳の若い姿のまま、ニッコリ微笑んでいる夫の写真に向かって語られます。


  おりしも、今日の午前中、夫の友人の叙勲祝賀会があり、嬉しそうなお顔を拝見し、心からお祝いの気持ちでいっぱいになりました。


  夫の場合は、27歳の時から27年間にわたって議員をしておりましたので、既に、叙勲の対象者にはなっておりましたが、当時、受賞資格に70歳以上という条件があり、若すぎるため生存中は頂くことができませんでした。


 しかし、亡くなって1ヵ月後、夫の命日の日付で発行された「勲4等  旭日小綬章」と「従5位(じゅごい)」の叙勲をいただきました。


従5位の受賞  夕方、夫と親交の深かった人たちが、次々と集まってくださり、夜遅くまで夫の思い出を語り、涙を流してくださいました。叙勲の祝賀会を開催するはできませんでしたが、このようにいつまでも真を偲んで来てくださる友人の存在を嬉しく思います。


 8回忌を迎え、改めて、「夫は本当に幸せ者だ・・・」と思っています。


  ***参考***

   2007年09月22日(土)

     夫の7回忌を迎えて

   2006年09月22日(金)

     夫の6回忌に想う

   2004年09月22日(水)

     亡き夫の4回忌

   2003年09月22日(月)

     「いい人生だった  ありがとう。」

父の日に思う

  私には3人の子供がいます。5月の母の日には、長男と長女夫婦が「お母さん、いつもありがとう!」の言葉を添えて、素敵なプレゼントを手渡してくれました。


 次女は他県で病院勤務をしているため、この日はいませんでしたが、今日、

お父さん、いつもありがとう!

と言って、コサージュをプレゼントしてくれました。


 思いがけない出来事だったので、一瞬、「えっ?」と驚きましたが、次女は

 「だって、お母さんは私のお父さんでもあるんじゃけぇ!

と、笑顔で答えてくれました。


  子供達は、父親が亡くなった時、大学4年生・大学1年生・高校2年生でした。長男・長女は山口市で2人が一緒に生活していましたが、次女は我が家にいました。


 しかし、私は夫が亡くなった後の約1年間、

「私は看護師であったのに、夫の病気を見つけることができなかった。夫の死は私の責任だ・・・」

と自分で自分を責め続け、結果として自分を見失うほど落ち込み、家事も全くできませんでした。


 そのため、この次女には寂しく辛い思いをさせたという自責の念がありましたが、今日、

「お母さん、そんなことないよ。私、お母さんが大好きよ!

と言ってくれました。


  あの日から6年半、3人の子供たちはすっかり大人になりました。今日は、子供たちへの感謝の気持ちでいっぱいで、涙がでるほど嬉しい1日でした。


  父親のいない父の日でしたが、夫もあちらの世界から子供たちの成長を喜び、目を細めながら見守ってくれていることと思います。

「みんなにありがとうって伝えてな!」

病気と闘った6ヶ月間のことを書いてみました 亡き夫 藤井真の7回忌にあたり、


「とても楽しいいい人生だった。お世話になった皆さんお一人おひとりに『ありがとう!』とお礼を言って逝きたいが、それが叶わないので、お前からよろしく伝えて欲しい」


と、生前、夫が私に託した言葉を皆様にお伝えいたしたく、冊子を作りました。


  政治家であった夫の公人の部分は、皆様よくご存知のことと思いますが、病気と闘った6ヶ月間の事は、お話する機会がありませんでしたので、今まで私の心の中に留めておりました。


「もしかすると、自分は死ぬかもしれない・・・」

「いや、絶対生きなくてはならないんだ!」

「でも、もしもの時には、自分は何をしておかなくてはならないんだろう?」


  発病、検査、手術、抗がん剤治療、病室から議会へ、退院、自宅療養、再発、痛み、死の受容、家族への伝言、再入院、友人との別れ、死・・・・


  この間の夫の言葉や行動、病院の主治医の先生や家族とのかかわり、最後まで自分を失うことなく尊厳を持って生き抜いた夫の姿を書き記しました。


 後、少々在庫があります。多くの方に読んで頂きたいと思いますので、ご希望の方は事務所までご連絡ください。
プロフィール

ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

リンク
カウンター
検索フォーム
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ