周南倫理法人会で「あいサポート」について話しました

障害を持つ方への支援についてお話させていただきました。 所属している周南倫理法人会でモーニングセミナーの講師を依頼され、9月3日、「あいサポーターについて」お話させていただきました。山口、光下松でのモーニングセミナーを合わせると、今回、6回目になります。

Ⅰ]障害者支援を一生懸命している理由
平成4年の「みんなで走ろう42.195キロ」に家族で参加し、走ることができない人のことを知った。

平成5年「手話落語」に行き、「耳が聞こえる私たちは、聞こえない人を疎外していたのかもしれない」と気付き、反省。手話・聴覚障害・福祉に関心が湧いてきた。

*ガールスカウト活動で知的障害があるゆうこちゃんとの出会い
 トイレの水を流すセンサー・・・目の見えない人はどうやってこのセンサーを知るのだろう?

*障害のある人たちが私を議員として育ててくれた。


Ⅱ]山口県の現状
*障害がある人の数
  身体障害者・・・6万7千人
  知的障害者・・・1万1千人
  精神障害者・・・2万6千人
  発達障害などを加えるともっと多い。
  人工透析、心臓のペースメーカーなど、他の人から見えない障害も。

*山口県の人口は約140万人
  県民の13人に1人の方が何らかの障害を持つ


Ⅲ]議員になって実際の活動
視覚障害がある人のために・・・
エスコートゾーンを設置
*音響信号機の設置と、夜間の時間延長。
登山大会・・・角倉山、莇ヶ岳
     
聴覚障害がある人のために・・・
*山口県を舞台にした映画「ほたるの星」の上映会(テロップ付き・手話付き)
 →「ほたるの藤井さん」と呼ばれるように。
*「こすもすの家」の開設
 →「警察官立ち寄り所」・・・パトロール区域に。
  警察官への手話研修会
      

Ⅳ]障害は自分には関係ない?
*近眼の人・・・もし地震が来て逃げようと思っても、眼鏡を壊してしまったら一歩も動けない。
  老眼の人・・・眼鏡がなければ、時刻表や電話帳、ゼンリンの地図の番地も見えない。
  事故・・・交通事故、建築現場の転落事故、スポーツ事故など、一瞬の事故で体が動かなくなる。
  病気・・・脳血管疾患などで半身麻痺。小さな子供で、高熱や食中毒で障害が残る場合も。
誰でも、いつでも、どこでも、障害者になる可能性がある。障害とは決して他人事ではなく、自分のこととして、本気になって考えなくてはならない。


Ⅴ]「あいサポート運動」とは
あいサポート運動
 障害のある方が困っておられるのを気付いたら、手助けをしてあげて欲しい。障害のある方が暮らしやすい社会を皆で一緒につくっていこうという運動。
 平成21年、鳥取県で始まり、今、島根県、広島県、長野県、奈良県などで展開されている。障害のある方が困っている時などにちょっとした手助けをする意思があり、優しい思いやりの心があれば、小学生でもなれる。

*「あいサポーター」のバッジ
 手助けを必要とする人たちに見えるように付けてアピールをして欲しい。優しい社会をつくっていくための第一歩。


Ⅵ]手話の練習
 おはよう・こんにちは・こんばんは・ありがとう・すみません・お疲れ様
 さようなら・おやすみなさい・わかりました・わかりません


Ⅶ」まとめ
*「障害」とひとくくりにせず、その人を見てほしい。
*例えば「手話」も一つのツールでしかない。できなくても躊躇しないで。理解しようという気持ちが大切。
*障害についてそれぞれの特徴を知って、それに応じた関わり・手助けをしてほしい。
*点字ブロックを塞がないなど、直接的な支援以外の配慮も必要。

*****

会場の様子。 手話の練習などもあり、いつもと少し雰囲気の違うセミナーになりました。その後もみんなで障害に対する情報交換をしながら、朝の貴重なひと時を共に楽しく過ごしました。

 早朝にも関わらず大勢の方が参加されており、中にはこのセミナーのためだけに山口市からお越しの方もいらっしゃいました。
 皆さま、ありがとうございました。 

「あいサポートやまぐち」③「みんなで走ろう42.195キロ」

 「みんなで走ろう42.195キロ」・・・これは、旧徳山市の社会福祉協議会や福祉ボランティアの人たちの主催によるもので、
障害のある人たちとみんなで仲良く暮らそう。そのためには、まず障害のある人のことを、みんなで知るために、一緒に走ってみよう!
という企画でした。

 みんなで1本のたすきを繋いで、フルマラソンと同じ距離、42.195キロを走り抜こうというもので、多くの参加者がありました。

 我が家も、家族5人で参加し、夫は100m、私と小学校1・3・6年生の子供たちは50~100m走りました。

 参加者の中には、足の動かない方が何人もおられました。その方たちは、車いすを懸命に漕いだり、土の上を、両腕を使って這いながら5mくらい進み、次の人にたすきを渡します。中には1mを10分かけて進むという、頑張る姿も目にしました。

 両腕で這った子どもが、次のランナーにたすきを渡した時には、会場から、大きな拍手が起こりました。子どもの全身は、泥まみれでしたが、顔はとても誇らしそうな笑顔でした。

 何人の参加者があったかは覚えていませんが、4-500人位はいらっしゃったと思います。みんなで1本のたすきを繋いでグランドを106周走りました。時間は、朝から夕方までかかりましたが、途中で帰る人は誰もいませんでした

 最後のランナーは車椅子の男の子でした。その子が最後のコーナーに来た時、スタンドで応援していた大勢の小学生たちは一斉に駆け寄って行きました。中には、「車椅子を押してあげよう」と言った子どもいました。

 でも、その男の子は
今日は自分で走りたい
と言って断ったので、みんなは手を叩きながら「頑張れ、頑張れ!」と声援を送り、後ろに横一列になって、一緒に歩きました。

 応援の小学生たちは「車いすより前に出ちゃいけんよ!」とお互いに注意しあいながら、すぐ後ろから声をかけ続け、ついにゴールしました。そのゴールの時の歓声は、今でも忘れられません

 この頃、夫は県議でした。多分、厚生委員会の委員長をしていた頃と思います。実は、私自身は、この大会から福祉に目覚めたのです。

 振り返って考えてみると、この大会を企画されたのは、楽団「みかんの花」の高島さんや、山本さん(市社協)だと思いますが、お二人は、今も、障害者に対して特別な感覚と感性でもって接しておられ、私はいつも尊敬の念を持ってお付き合いをさせて頂いています。

 20年余りも前に、この大会を通して「あいサポーター」を育てようとされていたのだと思うと、尊敬の念を覚えます。

 今回、あいサポートの研修を受けて、私もあいサポーターになりましたが、これは特別なものではなく、少し関心があり、少し優しい思いやりの心があれば、小学生でもなれるものと気付きました。

改めて、多くの方に障害のある方へ関心を持っていただきたいと思った一日でした。

「あいサポートやまぐち」②手話落語

 基調講演をされた毎日新聞社論説委員の野澤和弘さんは、お話しの中で、「手話通訳者は誰のためのもの?」という話しをされました。

 野澤さんは
 「普通は、『耳の不自由な人のためにある』と答えるでしょう。しかし、私は、聴覚障害者だけのシンポジウムにシンポジストとして呼ばれたことがあったが、この時、皆が何を手話で話しているのかさっぱりわからず、困ってしまった。この時、通訳してくれたのが、手話通訳者であった。『誰のためのものか?』耳が聞こえる私のためのものであった・・・
と話されました。

 実は、私も、それと同じ体験をしたことがありますので、ご紹介します。

 平成4年頃、私は子供たちを連れて、当時の徳山市社会福祉協議会主催の手話落語の会に行きました。まだ、私の生活の中に、「手話」と言う言葉すら存在しなかった頃のことです。

 なぜ、そのような会に行ったのか?実は、その前の年に、「みんなで走ろう42.195キロ」という駅伝大会が市の陸上競技場でありました。それに家族で参加し、私自身が少し、福祉に目覚めた時だったからだと思います。

 この駅伝大会については後日述べますが、手話落語に行った際に、本当に驚き、戸惑い、どうしたらいいのかと悩みました。

 と言いますのも、会場に入った途端、異様な感覚!誰の話し声もしないのに、きちんと座ったお客さんたちには笑顔が溢れ、実に楽しそう

 舞台には、既に、着物を着た落語家さんが座り、手話で落語をされていました。観客の皆さんは、笑いながら両手を高く挙げ、手首をくるくる回しています。

 手話のわからない私たち親子は、落語の内容もわからず「ポカーン」状態。

 そのうちに、落語家さんが、
「困っている人が来られたようですので、少し声を出しながら手話落語を続けましょう」
と言われ、私たち親子のために、声を出して落語を話してくださいました。

 この時、私は、
あっ、私たちのように音が聞こえる者は、聞こえない人を、このように疎外していたんだ!申し訳なかった!
と気付き、反省しました。

 手を大きく振っているのは、拍手をされている手話でした!私が初めて覚えた手話です。

 その時から、手話・聴覚障害者・福祉に関して、関心が湧いてきたのです。私が今、看護師の経験を持つ県議として、特に、環境福祉委員として、障害を持たれている方への理解者として活動できるのも、この時の疎外感があったからこそなのです。

「あいサポートやまぐち」①「あいサポート運動」

力強く演奏された「同胞太鼓」の様子。 8月8日、山口市の県セミナーパークにて、県の主催で「あいサポートやまぐち」のキックオフフォーラムが開催されました。「あいサポート運動」については私も以前から関心をもっていましたので、ぜひにと思い参加してまいりました。

 「あいサポート運動」とは、障害のある方がいきいきと活躍できる地域社会への実現を図るため、誰もが障害に対する理解を深め、配慮を実践しよう、というもので、平成21年11月に鳥取県で始まった運動です。
 
 「愛情」の「」、私の「I」、支え合いの「合い」に共通する「あい」と、支える・応援する意味の「サポート」を組み合わせ、障害のある方を優しく支え、自分の意志で行動することを意味しています。

 この趣旨を県民に広め、理解を深めると共に、この運動の気運の醸成を図る目的で今回のフォーラムが開催された訳です。

 まず、障害者団体である「あそかの園」の皆さんによる、「同胞太鼓」が演奏されました。とても力強く迫力のある太鼓で、オープニングにふさわしい演奏でした。

締結式にて 次に、あいサポート運動の推進に関する協定書の全文が読み上げられ、平井鳥取県知事と、村岡山口県知事が協定書に署名され、協定締結式が行われました。その後、両知事のご挨拶がありましたが、お二人とも手話で自己紹介をされ、会場から大きな拍手が起こりました。

 その後、「障害のある方が配慮を必要としていることを示すマーク」をデザインされた磯部さん(滋賀県の学生さん)への表彰式がありました。

 また、基調講演として、毎日新聞社論説委員の野澤和弘さんが「障害のある人もない人も暮らしやすい地域とは」というタイトルで、お話をされました。ご自身のお子様も障害がおありなので、説得力のある内容でした。

 「あいサポーター」になるためには、日常生活の中で障害のある方が困っている時などにちょっとした手助けをする意思のある方であれば、どなたでもなることができます。

 また、下記の2項目
 ①各職場や地域・団体などが開催する「あいサポート研修」を受ける。
 ②各種講演会、イベント等であいサポート運動に関する説明等を受ける。

で、あいサポート運動の説明などを受ければ、全員「あいサポーター」に認定され、あいサポート運動のシンボルマークのバッチをいただけます。

あいサポート運動ロゴ 私も、今回の研修でバッヂをいただきました。
橙色のハート・・・障害のある方で、光や温かさをイメージ。
 「橙」は「代々」にもかけられており、あいサポーター(障害者サポーター)が広がって、共生社会が実現されることへの期待も込められています。

白色のハート・・・障害のある方を支える様子を表すと共に、「SUPPORTER」の「S」を表しています。

 全国には、障害者手帳を持っている方が92万人いらっしゃいます。また、いつ誰が、どのような障害を持つことになるか、全くわかりません。決して他人事ではありません。みんなで優しく支え合う社会の構築に向けて、まずは「あいサポーター」になりましょう!

 そして、バッヂを付けて、手助けを必要とする人たちに見えるようにし、「どうぞ私に声をかけてください!」とアピールをして欲しいと思います。

つづく・・・

悲しいお別れ② 

 告別式の中で、遺族代表の謝辞は、Mさんのお嬢さんがなさいました。

***

 私の両親は共に聴覚障害者です。
 母はよく『私は、貴女が泣く声も聞こえない。だから、夜寝る時は、いつも、紐であなたと手を結んで寝ていた。そうしていたら、貴女が起きた時、泣いた時がすぐわかるからね』と言っていた。
 
 そうやって、一生懸命に育ててくれていた母だけれど、耳が聞こえないということで、私は学校でいじめられ始めた。

 両親は『あなたは何も悪いことをしていないから、負けるな!』と言っていたが、負けそうになり、辛い日々を過ごしていた。
 
 しかし、一番の友達が、『両親の耳が聞こえないことを、なんでそんなに恥ずかしいと思うの?普通の親と何が違うの?』と言ってくれた。

 この時、母に対して『申し訳ないことをした』と思い、初めて、母の苦しみがわかった。以来、ずっと感謝しながら、また、母がいつも言っていた『人の痛みや悲しみがわかる人になれ』を目指して生きてきた。


***

 お嬢さんは、悲しみをこらえながら、一生懸命お話されました。

 素晴らしいお嬢様のことを、これからも、きっとお母様は守ってくださいますよ。

 お母様としてのMさんの幾多のご労苦に思いを馳せながら、皆で涙を流し最後のお別れしました・・・。

悲しいお別れ①

Mさんのご逝去につつしんでお悔やみ申し上げます がんで闘病中だった「こすもすの家」のメンバー、Mさんが、先日78歳でお亡くなりになりました。

 Mさんは、小学校4年生の時に聴覚を失われました。そして、結婚をし、子供さんにも恵まれ、明るく一生を送ってこられました。

 私は10年前に、聴覚障害者の方々に、映画「ほたるの星」を観て頂きたいと思い、手話通訳とテロップを付けた全国でも初めての映画上映会を開催しました。(2005-03-26聴覚障害者向けの「ほたるの星」上映会を企画して ・ 2005-03-27大成功!「ほたるの星」上映会

 涙を拭きながら、一生懸命に観てくださっていたMさんの姿を思い出します。

 映画が終わったときに、「りつこさんありがとう。わかりやすいテロップで、ストーリーがとてもよくわかったよ」ととても喜んでくださいました。

 Mさんは聴覚を失っておられますが、読唇もできますし、10歳まで健聴でしたので、少しわかりにくい時もありますが、発声によるコミュニケーションもとれます。そのため、「こすもすの家」の聾唖の人を代表して、行政に対して意見をはっきり言える本当に聡明な方でした。

 「こすもすの家」で、何かトラブルが発生した時には、「りつこさんに相談してみよう」とよく言われていたそうです。

 最期は、緩和ケア病棟を勧められたそうですが、「やっぱり家がいい」と言って、娘さん夫婦を始めとするご家族に温かく介護され、そして、皆さんに見守られながら旅立たれたそうです。

 私は葬儀に参列させていただきましたが、「こすもすの家」のメンバーを始め、聴覚障害の方を含む多くのご友人の皆さんのお見送りがあり、葬儀の間も、ずっと手話通訳がなされていました。

 もちろん手話通訳者は、毎日出会っていた方なので、泣きながらの痛々しい手話です。

 私は突然ではありましたが弔辞を依頼されましたので、涙をこらえながら
「大好きなMさんへ。苦しい中、最後の最後まで“こすもすの家”のことを想って、本当によく頑張ってこられましたね」
感謝とお別れの言葉を述べました。

 「こすもすの家」ができて、今年の12月でちょうど10年になりますが、永遠の別れはMさんが初めてのことです。家族以上のつながりがあった仲間なので本当に辛いと思います。

 メンバーの皆さんは、互いに抱き合いながら悲しみをこらえていらっしゃいました。Mさんのご冥福を心からお祈りします。

 つづく・・・

楽団「みかんの花」のゆかりちゃん

 先日、祝賀会で演奏していただいた楽団「みかんの花」には、可愛いゆかりちゃんがいます。これまで、オーストラリアのブリスベン、上海、奈良など「わたぼうし音楽祭」へ出場しています。私も応援団長として、一緒に行かせていただき、大変貴重な経験をさせて頂きました。

 ゆかりちゃんは、先天性の障害がありますが、とっても頑張り屋さんですし、ダンスも上手です。出会うと、すぐに飛びついてきて、
  「りつ子さん、元気だった~?!
とハグしてくれます。私はこんなゆかりちゃんが大好きです。

 ゆかりちゃんは、現在、日本ダウン症協会に所属しています。その機関紙に、ゆかりちゃんの文章が掲載されました。以下、原文のまま、ご紹介します。

*******

 養護学校高等部を卒業して、週に3日、保育園で10年働きました。雇用期間終了のため退職し、今はヘルパー2級をいかしてお体の不自由な方の生活支援の場(障害者支援施設緑風園)で介護職員をしています。利用者さんのお役に立てるように週4日汗をいっぱいかいて頑張っています。

 私には余暇を楽しむ時間が働くことと同じくらいにとても大事な時間です。余暇活動の中身は、週に2回の公文、30年間続けています。週に1回はピアノとエレクトーン
スポーツはエアロとダンスと卓球を休日に地域のご年配の仲間と一緒に楽しくやっています。

 最後は「みかんの花」というバンドです。高校を卒業したころから週に1度、お仕事が終わってからJRに1時間乗って、一人で練習に通っています。


 私のパートはキーボードと♪素敵な不思議♪という曲のボーカルです。
「みかんの花」は呼んで頂ければどこへでもマイクロバスに楽器を積んで、優しく愉快な仲間たちと一緒に演奏に駆けつけます。そんな日を楽しみに毎週、みんなで練習を続けています。

 私の1週間のスケジュールはこんな感じです。これからもこつこつと続けていきます。

 私の夢は、素敵な人に恋をして、結婚して、ダウン症の赤ちゃんを産んで、家族に助けてもらいながら私の赤ちゃんを大事に大切にそして、可愛がって育てていくことです。でも、なかなか夢は叶いません。

 皆さんの夢は何ですか?!聞かせてください!
 夢、かなうといいね。いや、みんなでかなえよう!!

*******

 いかがでしたか?
 障害があっても、彼女は一生懸命頑張って生きています。共に手を繋いで生きていきたい。いつも私が思うことです。こんな素敵な夢をもって毎日頑張っているゆかりちゃんに、これからも幸せに過ごして欲しいと心から願っています。これからも仲良くしてね。

下松中央医療介護支援センターの竣工式に出席して

 去る6日、下松中央医療介護支援センターの竣工式が開催され、来賓としてご案内をいただきました。このセンターを整備されたのは医療法人・社会福祉法人緑山会です。
 
 医療介護支援センターは、下松中央病院(旧日立病院)の3階で、渡り廊下によって繋がれた隣接の建物で、地域包括ケアシステムを視野に入れた、まさに医療と介護が一体となった取り組みです。

 下松駅の近くにあり、市内でも特に立地条件の良い場所に設置されています。病院、施設、在宅のネットワークの中で、利用される方々に適切なサービスを提供できるよう、細やかで優しい配慮がなされております。
 1階の「デイサービスセンター星ひろば」には、居宅介護支援事業所やリハビリの器具の他、パソコンや囲碁、将棋、麻雀など男性も楽しめるようなメニューがあり、他の施設と違った特色を出しておられます。

 2階は地域密着型特別養護老人ホーム、3階は、鹿野の博愛病院から病床を異動した療養型の入院施設38床と有料老人ホーム、4階は有料老人ホームとなっており、どの階もとても明るい設計になっています。
 緑山会はこれまで、30数年間にわたって、鹿野博愛病院、特別養護老人ホーム友愛園、ケアハウス周南温泉など数多くの施設を整備し、周南市北部地区の住民の命を守ってこられました

 実は、亡き夫が県議時代、岡本前理事長にはこれらの施設整備の際、いろいろな相談を受けておりました。

 今日は岡本前理事長のお孫さんにあたられる斉藤理事長ご夫妻や、岡本家の皆様と楽しくお話しさせていただきながら、センター内を緑山会グループの看護師の皆様と一緒にご案内していただきました。

 岡本理事長の思い出話をしながら、斉藤理事長の想いが詰まった先進的な取組のセンターを見せていただくことができ、とても嬉しい竣工式でした。

 スタッフの皆様には、今後、一人一人の利用者に、優しい心と明るい笑顔で接していただき、安心して生活を送ることができるように支援していただくことを期待しますし、地域に信頼されるセンターとして、今後益々ご発展されますよう祈念致しております。

つづみ園の竣工式に出席して

 社会福祉法人 周南市社会福祉事業団では、昭和49年に旧徳山市に開設された「特別養護老人ホーム周南市鼓海園」を運営して来られました。このたび、施設が老朽化したため新築移転することになり、平成25年から工事に着工してきました。

 昨今の建設現場の厳しい課題の中で工事が進められてきましたが、無事完成の運びとなり、「つづみ園」と名称変更して運営されることになりました。

 先月の15日、竣工式にご案内をいただき、出席させていただきました。

 つづみ園の総事業費は15億8千6百万円。鉄筋コンクリート造り4階建ての全室個室ユニット型特養(110床)で、居宅に近い居住環境の下で居宅に近い日常生活の中でケアを行う事を基本方針としています。

 私も見学させていただきましたが、とても広くて明るく、1フロアーに4ユニットが整備されています。

 竣工式には、地元議員や社会福祉事業団の評議員、鼓海園のボランティアの皆さん、県内の特養の施設長さんの他、歴代の鼓海園の園長さんが多数お見えになっていました。

 3月末に無事引っ越しをされたそうです。
 入所者の皆様には、新しい施設でお元気に暮らされることをお祈りいたします。


角膜提供された後に…「母蛍」

 先日、徳山中央ライオンズクラブ会長のお母様がお亡くなりになられました。私もメンバーの一員として、また、お母様にも大変お世話になっていた関係上、ご葬儀に参列させていただきました。

 お母様は、アイバンクに角膜を提供されたそうで、葬儀の中で、公益財団法人やまぐち移植医療推進財団より感謝状が授与されました。

 感謝状を伝達されたのは、同財団の評議員をされている新南陽若山ライオンズクラブの山本二雄さんです。山本さんは、感謝状を読み上げられる前に、弔辞を述べられました。その中で、
 「数年前、私の母が亡くなった際にも、献眼をしました。6月の初旬、初七日の法要を済ませた後、車を運転中に、季節外れの蛍が1匹、フロントガラスの前を飛んで行きました。その時、あっ、母が蛍になって帰ってきた。きっと献眼したことを喜んでいるんだ!と思いました。その時に詠んだ句です。
 『逝きてなお  光導く 母蛍』」 

 私は、その光景を頭に描きながら涙が出ました。山本さんのお母様の角膜は、視力がない2人の方へ移植されたそうですが、その人の目になって、今もこの世を見ておられるのだと思います。

 角膜移植をするためには、死後8時間までという時間制限がありますし、家族は葬儀の準備等で、故人がアイバンクに登録をしていることなど、思い出す余裕もありません

 死はいつ訪れるかわかりません。予期せぬ葬儀となる場合もあります。私も夫が亡くなった時、
できることなら角膜移植をして欲しいな
と言っていたことをすっかり失念してしまい、後悔しました。
蛍の光を見ると、亡くなった方が思い出されます。 そのために、一般質問で、「病院のカルテの表紙などに、大きく印をしておくのはどうか?」と提案をしたわけです。この意見に同調してくださり、システムを変えてくださった病院も少しずつ増えてきていると伺っています。

 故人の遺志が活かされる体制づくりを願っています。


プロフィール

ふじいりつ子

Author:ふじいりつ子
山口県議会議員

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